トロイの古代遺跡
古代エーゲ文明のひとつであるトロイ遺跡は、ドイツ人の実業家シュリーマンによって発掘された遺跡です。エーゲ海海岸より6キロメートル内陸にあるヒサルルクの丘にあります。絶世の美女を巡り英雄が謳歌した神話が残る遺跡で1998年に世界遺産に登録されました。
トロイの遺跡
最初にトロイの遺跡ができたのは、紀元前3,000年頃だそうです。最初にできた街をⅠ市とし、街を作り替える度にⅡ市、Ⅲ市と拡張していき、ついにローマ時代(紀元後300年頃)までにはⅨ市ができました。
この1~9までの都市ですが、街が地震などで崩壊しては埋め立て街の規模をどんどん大きくしていったため、遺跡を掘ってみると過去の街がまるで地層のように順番に出てきているようです。
発掘された壺が展示されています
かつては巨大な要塞になっていました
紀元前1,200頃にトロイ戦争が起こりました。神々の宴でゼウスの妻ヘラと戦いの女神アテナ、美の女神アフロディーテの3人のうち、だれが一番美しいか競った時、ゼウスは判断をトロイ王家の王子パリスに委ねました。
3人は賄賂をパリスにちらつかせましたが、そのうちアフロディーテは絶世の美女ヘレネとの結婚をちらつかせました。パリスはヘレネと結婚したいと思いアフロディーテの勝ちを宣言しましたが、ヘレネはスパルタの王妃であったため、これがきっかけとなって10年もの戦争に発展しました。
石積が残されています
井戸などの建造物の跡が残ります
ギリシャ軍は無理矢理略奪婚させられたヘレネを取り返そうと何度も進軍しては戦いますが、難攻不落のトロイは落ちることはなく10年もの長い月日が流れてしまいました。そこでギリシャ軍は一計を案じて木馬と一人の生贄を残して撤退したように見せかけることにしました。
巨大な要塞であることがわかります
発掘された土器などが展示されています
トロイ軍は戦利品として木馬を城内に引き入れ祝宴をあげましたが、この木馬には伏兵が潜んでおり深夜になって兵が城内に火を放ち、舞い戻って来たギリシャ軍と合流してトロイを攻撃し、ようやくにして難攻不落のトロイは陥落しました。
このトロイは伝説的な話として存在を信じられていませんでしたが、1870年にドイツ人の考古学者シュリーマンが私財を投げ売り発掘を行ったことで発見されました。なお、展示されている木馬は1975年に復元されたものです。
1975年に復元された木馬です
木馬の内部にも入ることができました
トロイの古代遺跡は1998年に世界遺産に登録されました。