ベルガマの古代遺跡
トルコのエーゲ海に面した場所にあるベルガマ(ペルガモン)の古代遺跡は紀元前3世紀中期から2世紀にかけてアッタロス朝の都として栄えたペルガモン王国の王都です。丘の上に古代王国の遺跡が残り、ヘレニズム時代を代表する遺跡として2014年に「ペルガモンとその重層的な文化的景観」としてユネスコ世界遺産に登録されています。
ベルガマの古代遺跡
エフェソス・トロイと並びエーゲ海の3大遺跡とも称されるベルガマ(ベルガモン)遺跡は、アレキサンダー大王の死後の紀元前3世紀中期から2世紀にかけてアッタロス朝の都として栄えました。有力武将のひとりであったリシマコスはベルガマを主要軍基地に定めて、リシマコスの側近フィレタイオスをベルガマの護衛に任命しました。
城壁の一部です
アーチ状の入口になります
リュシマコスがシリア王との戦いによって戦死すると、フィレタイオスはシリアに属しましたが、その後ペルガモン王国として独立し、ローマと共にシリアを攻めて小アジアにおける交易の権利を得ました。その富を基にギリシャ文化を取り入れたアクロポリスの建築が次々と行われていきました。
繁栄していたペルガモン王国はアッタロス3世の遺言により紀元前133年に領土を共和制ローマへ委譲され、その後アラブの攻撃を受けて衰退していきます。さらに19世紀には神殿がドイツに持ち去られヘレニズム都市の面影は奪われていきました。
建物の跡なのかもしれません
神殿の柱が並びます
ペルガモンで最も古いアテネ神殿は、紀元前4世紀に6×10本のドーリア式の柱で建てられています。紀元前2世紀のエウメネス2世の時代に北側に回廊が造られています。破風の下のフリーズにはアテネを象徴するフクロウとゼウスを象徴する鷲が彫られていましたが、ビザンチン時代に完全に崩壊しています。
アテネ神殿の奥には図書館がありました
小高い丘から町が見えます
アテネ神殿跡の北側には図書館があり、当時最大と言われていたアレクサンドリア図書館をしのぐほどの大きさで20万冊の蔵書があったといいます。当時の書物はパピルスを原料としていましたが、アレクサンドリアがパピルス紙の輸出を止めてしまい、パピルス紙の替わりに「羊皮紙」を発明しています。
はるか昔に繁栄したペルガモン王国の跡地は、2014年に「ペルガモンとその重層的な文化的景観」としてユネスコ世界遺産に登録されています。