トプカプ宮殿
トプカプ宮殿は、栄華を誇ったオスマン・トルコ帝国の皇帝が住んだ宮殿で現在は博物館となっています。博物館には、宝石の数々や宝石で散りばめられた短刀や王冠など「幾らするんだろう?」と思うほど、凄いお宝を拝見することができます。
トプカプ宮殿は広大な敷地があり、帝王の門、挨拶の門、至福の門で分けられています。帝王の門を抜けて敷地にると挨拶の門から外庭に入り、最後に至福の門を抜けて内庭に入ることになります。
トプカプ宮殿の敷地外から外庭まで
トプカプ宮殿の入口にあたる帝王の門の前にはアフメト三世の泉があります。18世紀チューリップ時代の代表的建築のひとつです。その先に帝王の門があります。門には「2つの陸のハーターン、2つの海のスルタン」と書いてあります。ハーターンもスルタンも王様の意味で、ヨーロッパとアジアの陸、黒海と地中海の海を制した王様ということを意味します。
18世紀に建造されました
トプカプ宮殿の入口にあたります
帝王の門をくぐると左手にアヤ・イリニがあります。ビザンツ帝国時代にはハギア・エイレーネー教会でした。ビザンツ帝国の中で重要な教会の一つでしたが、オスマン帝国の時代にトプカプ宮殿の武器庫になりました。
ビザンツ帝国の教会でした
外庭への門になります
第一中庭を抜け第二中庭の入口にはトプカプ宮殿を象徴する「挨拶の門」があります。門の入口には「アラーの他に神はなく、ムハンマドは神の使徒である」というイスラム教徒には大変重要な言葉が掲げられています。
トプカプ宮殿の外庭から内庭まで
挨拶の門を抜けて外庭に入ります。外庭はオスマン帝国の精鋭部隊イニチェリの閲兵式など儀礼の場として使われました。外庭から見える塔は正義の塔と呼ばれ敵の監視などに使われました。この塔の下にはハレム(日本でいう大奥)がありました。
見張りとしての役割がありました
御前会議議事堂で帝国の決定がなされました
正義の塔の下には御前会議議事堂(クッベアルトゥ)があります。17世紀まで帝国の最高意思決定機関として機能していました。日本でいう閣議のようなもので帝国の方針が決められていきました。
トプカプ宮殿の内庭(ハレム)
外庭から建物の入口のような至福の門を抜けると内庭に入ります。内庭のテラスからはボスポラス海峡の美しい景色を眺めることができます。この内庭から正義の塔の下にあるハレムに入ることができます。
内庭に入るための門です
美しい海の景色が見えます
ハレムはアラビア語で「禁じられた」を意味する宮廷の女性たちの生活の場で、スルタンとスルタンの家族以外の男性が入ることは禁じられていました。第7代スルタンの時代から始まり、部屋の数は400、最大で1,600人以上の女性が生活していたと言われます。
ハレムは薄暗い内部です
母后がハレムを取り仕切りました
ハレムでは皇帝の母親とともに全体を統括するために去勢された黒人の宦官が約400人働いていました。黒人とハレムの女性の子であれば肌の色で分かるため黒人の宦官が採用されたようです。母親と黒人の宦官長がハレムを取り仕切り、皇帝の相手を見定めていたハレムの影の実力者でした。
寝室のようです
きらびやかな空間です
生まれた男子は大切に育てられ第一子が皇帝になりますが、その他の男子は殺されるか一生宮殿に幽閉される生活を送りました。これは兄弟間の権力争いを防ぐためでした。こうしてオスマン帝国は36代まで続きました。
調理器具などが展示されます
トルコなのに伊万里焼もあります
ハレムの隣の建物には厨房がありました。料理人は600人から1,200人いたと言われ、宮廷内の約4,000人から6,000人の食事を作っていました。現在は陶器博物館となっていてヨーロッパのマイセンやベネチアングラスのほか、シルクロードを渡ってきた中国の青磁器や日本の伊万里焼まで展示されています。