アンコール・ワット
アンコール・ワットの周辺は9世紀頃にクメール王朝が支配するクメール人の国として栄えました。12世紀前半にクメール王朝18代スーリヤ・ヴァルマン2世が創設したアンコール・ワットは「寺院の王都」という意味があり、総面積は200ヘクタールに及びます。
アンコール・ワット
12世紀前半に建てられたアンコール・ワットは、南北約1,300メートル、東西約1,500メートルの堀で囲まれた敷地内にあります。アンコール・ワットのアンコールは王都を意味しワットは寺院のことで、カンボジア人にとってアイデンティティの象徴でもあります。
正面にあるのは西塔門です
長い通路が続く参道です
500年にわたりシェムリアップ地域に存在し続けたアンコール王朝は、この地域の経済、政治的な要所であっただけでなく、宗教上の聖都でもありました。また、アンコール・ワットはヒンドゥー教三大神に捧げられた寺院であると同時にスールヤヴァルマン二世を埋葬した墳墓でもありました。
日本の修復チームにより修復されました
南側の経蔵で、かつては経典が納められていました
王の死後、王と神が一体化するデーヴァ・ラジャ(神王)思想に基づくもので、寺院は信仰の対象物である以上に、王が死後に住むための地上の楽園を意味したものでもあります。当時の人々は中央祠堂を構成する5つの尖塔を宇宙の中心を模した物と考えていて、王権を神格化するために独自の宇宙観を実現しています。
両脇には獅子(シンハー)がいます
かつては国王の通用門でした
アンコール・ワットは中央の祠をから3層の回廊が取り囲んでいます。回廊は外核にあたる第一回廊と内核にあたる第二回廊、最も中心部に近い第三回廊(見学不可)に分かれ、それぞれの回廊には緻密な彫刻として物語が絵巻として描かれています。
第一回廊
第一回廊にはレリーフが施されていて、西面にはインド古代の叙事詩「マハーバーラタ」、南面にはスーリヤヴァルマン二世の行軍、東面には天国と地獄、北面には乳海攪拌の描写が彫刻として描かれています。
ヒマラヤを象徴する回廊です
次の王様を巡る戦いが描かれます
西面にあるマハーバーラタは、王様の子供5人と王様の兄の子供100人が次の王様を誰にするのか戦い、5人の王様の子供が勝つというインド古代の叙事詩です。壁一面に描かれた彫刻はコマ送りのように歩き進めると話が展開されていく作りです。
南面のスールヤヴァルマン二世の行軍は、アンコール・ワットを建てたスーリヤヴァルマン2世が大軍を率いている様子が描かれ、かつては王の彫刻は金で塗られていました。しかし、スーリヤヴァルマン2世は戦いで多くの人を殺害したため、東面には天国と地獄の彫刻が描かれます。
アンコール・ワットを建てた王です
海をかき混ぜて乳海した神話が描かれます
北面は乳海攪拌の描写で、神とアスラ(悪鬼)が不老不死の薬アムリタを巡って戦った際、ヴィシュヌ神が海をかき混ぜれば不老不死の薬を手に入ると仲介したため、山に蛇を巻き付けて神と悪鬼が綱引きをして大海をかき混ぜたことにより、海は乳海してしまったという神話です。
十字回廊と第二回廊
第一回廊と第二回廊の間は十字になっている回廊(十字回廊)があります。十字回廊の4つの角を埋めるようには沐浴池があります。現在は水がありませんが、かつてはここに貯められた水で身体を清めてアンコール・ワット内部に入りました。
十字回廊は柱が並ぶ回廊で、柱には壁画や彫刻はほとんどありませんが、手を叩くとエコーが響く場所があり、また、江戸時代にアンコール・ワットを訪れた日本人が描いた落書きが残されています。
第一回廊と第二回廊の間にある仏壇
十字回廊の四隅に沐浴池がありました
寛永9年(1632年)に森本右近太夫一房はカンボジア(当時は南天竺と呼ばれた)に父母の菩提を弔う為に渡り、インドの祇園精舎と思われていたアンコール・ワットの回廊の柱に落書きを残しています。「御堂を志し数千里の海上を渡り、ここに仏四体を奉るものなり」との文字が残ります。
江戸時代の落書きです
第二回廊の外側の壁に施されています
十字回廊を過ぎた先にある第二回廊は長さ200メートルほどの回廊になります。第二回廊の見どころは、第二回廊の窓と窓の壁一面にある女神のレリーフです。美しい女性の姿をしています。
第三回廊
第二回廊を先に進み屋外に出たところに第三回廊があります。第三回廊は高さ60メートルある高台に中央祠堂を取り囲むように設置されています。アンコール・ワットで最も高い第三回廊からは遠くジャングルの景色が眺められます。
僧侶の姿もあります
急な斜面の上に第三回廊はあります
旅行した2009年は第三回廊に入ることはできませんでしたが、現在は急な階段が作られており、階段を上ることで第三回廊に入ることができます。