シーギリヤ遺跡
シーギリヤ・ロックはスリランカ中央部のジャングルの標高370メートルにある高さ180メートルある一枚岩です。5世紀後半には王位継承の悲劇が起こり山頂に王宮が築かれました。のちに仏教僧に与えられますが衰退して放棄され、19世紀後半にイギリス人に発見されるまで約1400年間も埋もれていました。
シーギリヤ宮殿跡
シーギリヤ・ロックは高さ180メートルある巨大な岩で、古くから仏教僧の修行の場所として人々を寄せ付けない地でした。ところが、5世紀後期に強引に王位を継承したカッサパがシーギリヤ・ロックの頂上に宮殿を建てて、その麓に町を築いて王都としました。
ジャングルの中にある巨大な一枚岩です
シーギリヤ・ロックの麓には街が建造されていました
アヌラーダプラを治めていたダートゥセーナ王は次の王位の座に、平民出身の側室の子である長男カッサパではなく、王族の血筋の異母兄弟モッガラーナに王位を継承することを考えていました。カッサパは自分が正当な後継者として父ダートゥセーナ王を幽閉・殺害して王位を継承し、異母兄弟のモッガラーナを南インドに追放しました。
シーギリヤ・ロックの頂上に宮殿跡があります
王宮や兵舎、住居などのレンガの基礎が残されます
王位に就いたカッサパは、モッガラーナの復讐を恐れて鉄壁の守りと安全を求めてシーギリヤ・ロックに宮殿を建て、その麓に町を築いて王都を移しました。シーギリヤ・ロックの頂上には約1.6ヘクタールの敷地に王宮や兵舎、住居などが建てられました。
王のみが入ることができたプールです
ひときわ大きな石で作られた王が座る椅子です
カッサパは王位継承からわずか11年で弟モッガラーナとの戦いに破れて短刀で自らの命を絶ちました。王位に就いたモッガラーナは王都をアヌラーダプラに戻し、シーギリヤ・ロックを仏教僧に譲りました。シーギリヤは13〜14世紀頃までは僧院として存続しましたが徐々に衰退していき、1875年にイギリス人が発見されるまでジャングルの奥深くに眠り続けました。
シーギリヤ・レディとミラーウォール
シーギリヤは麓から頂上まで1200段の階段が続きます。この中腹にある回廊にはシーギリヤ・レディと呼ばれるフレスコ画が残されています。写真撮影が禁止されていますが、カッサパの宮殿で暮らした女性をモデルにしたと言われる美しい壁画です。
岩壁沿いに作られた狭い回廊です
カッサパの宮殿で暮らす女性がモデルと言われます
シーギリヤ・レディは500体ほど描かれていたと言われますが、風化の影響などで現在は18体しか残されていません。しかし1500年経った今でも色彩豊かに当時の様子を現しています。また、壁面には8~10世紀にかけてシーギリヤ・ロックを訪れた人の落書きが刻まれています。
現在は18体しか描かれていません
鏡のような壁にシーギリヤ・レディが映りました
ミラーウォール(鏡の回廊)は、かつて壁が丁寧に磨き上げられ鏡のような壁が続く回廊でした。岩壁に描かれたシーギリヤ・レディを映し出すように設計され、回廊にたくさんのシーギリヤ・レディが描かれているように見えていました。
ライオンテラス
宮殿跡の麓にはライオンテラスと呼ばれる巨大なライオンの足の像がある広場があります。現在はライオンの足と爪だけが残されていますが、かつては王宮を守るように高さ数十メートルにも及ぶライオンの像がありました。
シーギリヤ宮殿跡の麓にあります
かつては巨大なライオンの像がありました
ライオンテラスから宮殿跡へは、ライオン像が守るライオン門を抜けて階段を登ることになります。かつては巨大なライオンの口の中を通過して王宮へと向かう構造であった考えられています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- Rock front, Sigiriya 21120, Sri Lanka
- アクセス
- タンブッラから車で40分
- 営業時間
- 7:00~17:30
- 料金
- US30$
- 地図