パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡
アヌラーダプラからポロンナルワに遷都したウィジャヤバーフ1世の孫パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡になります。かつての宮殿は7階建てで現在は3階部分までが残ります。なお、宮殿内には閣議場や集会場、沐浴場の跡が残ります。
ポロンナルワ時代
ポロンナルワ時代は、ヴィジャヤバーフ王が基礎を築き、パラークラマ・バーフ1世が発展させて最盛期を迎え、ニッサンカ・マーラ王の頃まで交易と農業で繁栄しました。灌漑設備の充実に努め、パラークラマ・サムドラ(パラークラマ海)と呼ばれる巨大な灌漑用貯水池を建設してからは乾季でも農耕を可能にしました。
巨大な貯水池で乾季でも農耕を可能としました
パラークラマ・バーフ1世の宮殿が置かれました
王たちは熱心な仏教徒で数多くの寺院や仏塔を造営して、ミャンマー・パガン朝やカンボジア・クメール朝などと仏教交流が盛んに行われましたが、南インドの島嶼であるスリランカはインド・パーンディヤ朝から侵攻を受けポロンナルワが支配下となると、シンハラ王朝は後退を余儀なくされ、1255年にポロンナルワは放棄されてジャングルに埋没してしまいました。ポロンナルワが発見されるのは19世紀のことです。
パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡
パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡は、アヌラーダプラからポロンナルワに遷都したウィジャヤバーフ1世の孫であるパラークラマ・バーフ1世が住まいとした場所です。現在は3階部分まで残され高さは9メートルありますが、かつては7階建で35メートルある巨大な建造物でした。
レンガ造りの基壇の上に建てられています
かつては7階建で50室あったと伝わります
壁の厚さは約3メートルで36本の柱がホールの屋根を支えていました。7階建の建物には部屋数は50あり、多くの女性も住んでいたと言われます。日本でいう大奥のような建物と考えて良さそうです。
王子の池(クマラ・ポクナ)
王子の池(クマラ・ポクナ)は、パラークラマバーフ1世が造営したニッサンカ・マーラ王子の沐浴場です。幾何学的な美しい沐浴場はパラークラマ・サムドラ貯水池から水を引き、使用した水が川に排水されるように設計されており、高度な建築技術が伺えます。
宮殿から階段を通り沐浴場に到着します
沐浴場の入口の両側には獅子の像があります
直径12メートルほどの矩形で周囲は3層で形成されています。水の注ぎ口は鰐の口の形をしています。貯水池からトンネルを通じて水が流れ込む仕組みになっています。
閣議場跡
閣議場跡はパラクラマバーフ1世が建てた会議場です。国政の中心となる場所で残されている数多くの石柱には各大臣の名前が刻まれています。席次も決められており、国王の次に皇太子が座り、将軍、閣僚などと続き、貴族や豪商も同席していたと言われます。
入口の両側には獅子像があります
3段のひな壇になり、石柱が残されています
閣議場は3段ひな壇に石柱が並ぶ基部が残されており、獅子像が配された階段を上がると閣議場の壇上になります。現在は多くの角柱が残されていますが、かつては屋根がある3階建の建物でした。
ニッサンカ・マーラ宮殿
パラークラマ・バーフ1世の宮殿跡の西にはニッサンカ・マーラ宮殿があります。ニッサンカ・マッラはインド・カリンガ国の出身で、パラークラマ・バーフ1世の後継者ヴィジャヤバーフ2世の招きでスリランカに来ましたが、ヴィジャヤバーフ2世がマヒンダ6世に殺害されると、マヒンダ6世を倒して自ら即位しました。
ニッサンカ・マーラは、仏教徒だけが国を統治する権利があると宣言し、自分の地位を確保しつつ王権の主張を正当化した。彼はさまざまな建設や改修に多額の費用を費やし、犯罪を鎮圧するために一般の人々にも寄付をしたため、国家の財政を壊滅的な状態にしたと言われます。
レンガの基礎と石柱のみが残ります
スリランカは獅子の国と呼ばれていました
ニッサンカ・マーラ宮殿には獅子の像が残されています。紀元前5年にスリランカを初めて治めたヴィジャヤ王は獅子の子孫という伝説があり、かつてスリランカはシンハラドヴィーバ(獅子の国)と呼ばれていました。獅子はスリランカの象徴として国旗にも描かれています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- Polonnaruwa, Sri Lanka
- アクセス
- ポロンナルワ駅から車で10分
- 営業時間
- 7:00〜17:00
- 料金
- ポロンナルワ入場料25ドル又は3850ルピー
- 地図