ペラデニア植物園
ペラデニア植物園は、14世紀にパラークラマ・バーフ1世が王妃のために造営した庭園を基にイギリス占領下の1821年に植物園として開園しました。東洋一広い公園と言われる巨大な公園で、イギリス統治時代にインドのアッサム茶が植えられたためスリランカ紅茶発祥の地と言われます。
スリランカ茶(セイロン茶)の発祥とその後
スリランカは、16世紀にシナモンなどの香辛料の独占貿易のため、ポルトガルによる植民地が始まりました。1657年にポルトガルを排除したオランダにより植民地が進められますが、1802年にアミアン条約でイギリスがスリランカを獲得しました。ポルトガルやオランダの植民地は沿岸部に限られていましたが、イギリスの支配域はセイロン島全土に及びました。
大航海時代で高額で取引されました
植民地時代にプランテーション化されています
王宮の庭園があったペラデニアでは、イギリスによりシナモン、茶やコーヒーの栽培を行う場所になりました。のちにスリランカ国内でコーヒーが病気で大打撃を受けると、茶の栽培に舵を切ることになります。イギリス人はスリランカの植民地を行うにあたり、インドからタミール人を移住させて、タミール人にシンハラ人を従えました。この政策により第二次世界大戦後の1948年に英国の自治領として独立を果たすと、シンハラ人の不満が爆発してタミール人との対立が深まり、20年以上にわたり内戦となりました。
ペラデニア植物園
ペラデニア植物園は、標高465メートルのスリランカ中央高地に位置し、総面積は5.6平方キロメートルの広大なもので東洋一の広さと言われます。年平均気温25度の自然条件下において、広大な敷地には珍しい植物を含む4000種類以上の植物が植えられています。
4000種以上の植物が植えられます
かつては王立庭園として整備されました
ペラデニア植物園は、12世紀後半にポロンナルワ王朝パラークラマ・バーフ1世が王妃のために造営した庭園が始まりです。1371年にキャンディ王ウィクラマバーフ3世が宮廷を構え、15世紀初頭のウィマラ・ダルマ・スリヤ1世の統治では仏教僧院や仏塔が造営されました。
南国らしい背丈の高い木です
かつては僧院や仏塔もありました
イギリスに占領時代には仏教僧院や仏塔はすべて取り除かれ、庭園の南西部分を開拓して主にシナモンやコーヒーが植えられました。また、インドのアッサム茶が植えられたことから、セイロン茶として世界的に有名なスリランカ紅茶発祥の地と言われているようです。イギリス占領下の1821年に現在の植物園として開園されますが、当時の名残からロイヤルガーデンとも呼ばれます。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- Peradeniya Road, Peradeniya 20400, Sri Lanka
- アクセス
- ペラデニア駅からバス20分
- 営業時間
- 7:30~17:00
- 料金
- 1,500ルピー
- 地図