ダラダー・マーリガーワ寺院(仏歯寺)
スリランカ・キャンディにあるダラダー・マーリガーワ寺院(仏歯寺)は仏陀の歯を祀る寺院です。仏歯はシンハラ王朝の象徴であり、王都の遷移と共に仏歯寺が建てられ仏歯を祀りました。このため、シンハラ王朝最後の王都キャンディに安置されています。
仏歯とシンハラ王朝
スリランカに仏教が伝来したのは紀元前3世紀になります。アヌラーダプラを王都とするシンハラ王国は仏教を保護しました。仏教が広く定着した4世紀の始め、インド・カリンガ国のヘママリ王女とダンサ王子が仏陀の歯を髪の中に隠してスリランカに持ち込み、アヌラーダプラのダンマチャッカ(法輪堂)に祀られました。
ヘママリ王女とダンサ王子が持ち込みました
ポロンナルワ王国で仏歯を祀っていた寺院です
仏歯はシンハラ王朝の王権の象徴として大切に守られ、王都が遷都される度に一緒に移されました。王都がポロンナルワに移るとクワドラングルに仏歯を祀る寺院が建てられました。ポロンナルワ王朝時代は後継者争いで分裂が起こり、インド・パーンディヤ朝の侵攻により仏歯が奪われますが、タンバデニア王国が奪い返しています。
仏歯はシンハラ王国の王権の証でした
スリランカ仏教で特に重要な聖遺物です
スリランカ全土を支配した最後のシンハラ王国であるコッテ国は、現在の首都であるスリ・ジャヤワルダナプラ・コッテに仏歯を祀りました。1505年にキリスト教の伝道とシナモンなど香辛料の独占貿易を求めてポルトガルがスリランカに侵攻すると、ポルトガルに関係が近いコッテ国からシーターワカ王国が分裂して内乱となりました。この混乱に乗じてポルトガルが両国を併合していき、植民地化が進んでいきました。
仏歯寺の概要
ダラダー・マーリガーワ寺院(仏歯寺)は、キャンディ湖のほとりの広大な敷地がある寺院です。仏陀の歯が納められているため一般的に仏歯寺と呼ばれています。1505年にポルトガルがスリランカに侵攻し、仏歯を保有するコッテ国を含む沿岸国はポルトガル領に併合されていきました。このような状況から、1590年にキャンディ王国ヴィマラダルマスリヤ王により仏歯がキャンディに持ち込まれ保管されました。
17世紀に創建して増改築されました
本堂には黄金の仏像が安置されています
キャンディ王国は1469年に中部山岳地域に成立したスリランカ最後の主権王国です。建国の30年後にポルトガルが侵攻して混沌とした時代でした。1603年のポルトガルのキャンディ侵攻では仏歯を隠して守ったと言われます。それから半世紀後の17世紀に仏歯を祀る寺院として仏歯寺が創建しました。
仏歯寺で守られる仏歯や貴重な経典
仏歯寺では毎日3回プジャーと呼ばれる祈りの儀式が行われ、仏歯の納められた金色の舎利容器を参拝することができます。午前5時半、9時、午後6時半に行われるプジャーでは、僧が仏堂に入り清められ、太鼓の音と共に物資を納める黄金の仏塔を模した箱が運び込まれます。仏歯の部屋は仏堂の2階部分にあり、仏歯の部屋が開かれると、大勢の仏教徒が密集して花を添えて手を合わせます。
1日3回だけ参拝することができます
多くの仏教徒が蓮の花と祈りを捧げます
7月から8月にかけてキャンディで開催されるエサラ・ペラヘラは、10日間かけて行われる祭りで寺院で最も重要な儀式の一つです。煌びやかな装飾を施された沢山の象たちが街を闊歩し、仏歯を納めた舎利容器を背に乗せた象もいます。
象の背中に仏歯の容器が乗せられています
ヤシの葉を使用した経典が納められています
キャンディ王国の最後の王であるシュリ・ヴィクラマ・ラジャシンハが建てたオクタゴンと呼ばれる八角形の建物には仏典が納められています。紀元前3世紀頃に仏教が伝来しますが、およそ200年間、仏教は口伝で伝えられていました。紀元前88年にヤシの葉を紙代わりにしたパピラに仏法を記述してパーリ語の経典を作りました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- Sri Dalada Maligawa, Kandy, Sri Lanka
- アクセス
- キャンディ駅から徒歩20分
- 営業時間
- 5:30~20:00
- 料金
- 500ルピー
- 地図