独立記念広場
独立記念広場は、スリランカがイギリスから独立したことを記念して1984年に造られました。広場には独立運動を先導したスリランカ国民の父と言われる初代大統領ドン・スティーヴン・セーナーナーヤカの像が建ち、その周辺を4頭の獅子像が飾ります。
ポルトガルとオランダの植民地時代
スリランカは500年近くに渡り欧米の植民地として苦しみました。1505年にポルトガルのインド副王に任命されたフランシスコ・ダ・アルメイダの息子ロウレンソ=アルメイダは、インド最南端のコモリン岬近くのキロンに遠征して、ポルトガル人商館員が殺害されたことへの報復として砲撃を行いセイロンに達しました。ポルトガル人は1510年までにセイロン島の支配を固め、この地の特産の香辛料である肉桂を獲得して、さらに東南アジアの香料諸島であるモルッカ諸島への中継地としました。
現在は大都市として高層ビルが建ちます
植民地時代を彷彿とさせるコロニアル建築です
150年もの間、スリランカはポルトガルが支配しますが、1602年にオランダ(ネーデルラント連邦共和国)の艦隊がスリランカに現れ、1656年にポルトガル人を駆逐してオランダによる植民地政策を進めました。
イギリスの植民地支配と独立
海上帝国として支配権を広げてきたイギリスは、フランス革命の影響によるネーデルラント連邦共和国の崩壊に乗じて、1796年にスリランカを占領し、ナポレオン戦争が終結した1815年ウィーン会議の議定書でイギリスはスリランカの領有を認められました。これによりイギリスはスリランカをセイロンと称して植民地化して、主に本国向けの茶(紅茶)のプランテーション栽培を行いました。
500年近く続いた植民地から解放されました
世界初の女性首相を記念して建造された会議場です
イギリスによる植民地支配が続いた1941年に第二次世界大戦が起こり、スリランカはインド独立と連動して1948年にイギリス連邦内の自治国として独立しました。さらに1954年にはインドのネルーの提唱で、南アジア5ヵ国首脳会議がスリランカの首都コロンボで開催されました。1956年からスリランカの首相を務めた世界初の女性首相バンダラナイケは第三世界のリーダーの一人として活躍し、1972年にイギリスから完全独立を果たして国号もセイロンから本来の民族的呼称であるスリランカに改称しました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- Independence Memorial Hall
- アクセス
- コロンボ・フォート駅(Colombo Fort Station)から車で20分
- 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図