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五稜郭

北海道函館市の旅行で訪れた観光名所、五稜郭

五稜郭は、徳川幕府の命を受けた蘭学者・武田斐三郎がフランス軍人からの助言と独自の工夫により設計し、元治元年(1864年)に完成した国内初の西洋式城郭です。稜堡(りょうほ)と呼ばれる5つの角があり星形の五角形となっています。

武田斐三郎(たけだあやさぶろう)

武田斐三郎(1827-1880)は、緒方洪庵塾に入門し、洋楽語術を学ぶ。ペリー艦隊が浦賀に来航した際には佐久間象山の門下にいた。洋式軍学者として製鉄、造船、大砲、築城などに明るく、箱館開港後は箱館諸術調所の教授として活躍。その後、幕命により弁天台場、五稜郭の設計監督にあたった。

五稜郭は、戊辰戦争最後の戦場として榎本武揚が立て籠ったところとして有名ですね。

榎本武揚(えのもとたけあき)

榎本武揚(1836-1908)は、オランダ留学を経て幕府の海軍副総裁になる。幕府崩壊後、新政府への軍艦引き渡しを拒否して脱走。箱館に旧幕臣による仮政権を築くが箱館戦争で敗れて降伏。後に明治政府要職に就く。

五稜郭の歴史

五稜郭の歴史
嘉永6年(1853)
黒船来航。鎖国政策の終焉
安政元年(1854)
日米和親条約を締結し、伊豆の下田と蝦夷地の箱館を開港
安政4年(1857)
五稜郭建造に着手
元治元年(1864)
箱館御役所(奉行所)が箱館山の山麓市街地から五稜郭土塁北側に移転
慶応3年(1867)
徳川慶喜は政権を朝廷に戻す(大政奉還)
慶応4年(1868)
箱館奉行から明治政府の箱館裁判所総督に改称
明治元年(1868)
薩摩長州連合軍と旧幕府軍による戊辰戦争が勃発
明治元年(1868)
旧幕府海軍の副総裁である榎本武揚が五稜郭を占拠
明治2年(1869)
新政府軍が箱館及び五稜郭を総攻撃、土方歳三戦死(箱館戦争)、五稜郭開城
明治3年(1871)
堀で天然氷の採氷
明治4年(1871)
郭内の御役所庁舎は解体され、明治の陸軍練兵場として使用
大正3年(1914)
公園として一般開放
大正11年(1922)
国指定史跡に指定
昭和27年(1952)
国指定特別史跡に指定

特別史跡 五稜郭

国内初の西洋式城郭である五稜郭は五稜郭タワーから一望することができます。五稜郭タワーには五稜郭の模型もあります。

五稜郭の模型

稜堡が並ぶ西洋式城郭であることが分かります。

五稜郭跡の標識

北海道で唯一の国指定特別史跡に指定されています。

五稜郭公園は無料で常時開園しています。敷地面積は約251,000平方メートルで東京ドーム5個分に相当します。

きれいな石垣

整然と石垣が並ぶところから江戸末期なのが伺えます。

砲台

新政府軍との戦いで使われた大砲だと思います。

まち旅(旅行、観光)の記録

まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。

まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒040-0001 北海道函館市五稜郭町44
アクセス
市電「五稜郭公園前」下車、徒歩約15分
営業時間
05:00~19:00(4~10月)
05:00~18:00(11~3月)
(五稜郭タワーは9:00~18:00)
料金
無料(五稜郭タワーは900円)

地図