盛美園
盛美園は津軽地方に見られる大石武学流を代表する名園です。広大な敷地に広がる池泉枯山水廻遊式庭園は、明治35年(1902年)より9年の歳月をかけて作庭されました。庭園の一角に佇む盛美館は和洋折衷の建物で明治文化の面影を残しています。これらの景観はジブリアニメ「借りぐらしのアリエッティ」のモデルになりました。
盛美園を建造した清藤家
盛美園を造営した清藤家は、鎌倉時代の執権・北条時頼の家臣でした。北条時頼が寵愛していた唐糸御前が女性陣の嫉妬に耐えかねて故郷の津軽に戻る際、初代・清藤次郎盛秀は唐糸御前に付き添い名野岡村(現・南津軽郡藤崎町)に居を構えますが、北条時頼が津軽に訪れることを聞いた唐糸御前は、衰えた自分の姿を見せる訳にいかないと池に身を投じてしまいました。盛秀は主命を果たせなかった責任を感じて鎌倉には戻らず猿賀の地に永住します。
室町時代、戦国時代、江戸時代と長い間、清藤家は歴代農家(地主)を営みながら広い地域に渡り商業を行う大庄屋でした。天保の大飢饉のときには村民救済のために蔵を開き米を施すなど、豊かな村を築くために尽力しました。
盛美園の造営と盛美館
大庄屋であった清藤家は、明治維新で士族授産のため田地十町歩(10ヘクタール)を残して土地を没収されてしまいました。清藤家24代当主・清藤盛美は、戸長や村長を勤める傍ら青森商業銀行・尾上銀行の創立に参画して尾上銀行頭取になり、一方で「盛美園」を造営しています。
1階が和風、2階が洋風の珍しい建物です
来賓を迎える部屋で窓の蜘蛛の巣模様が珍しいです
盛美園の片隅にある盛美館は、鹿鳴館時代を彷彿させる和洋折衷様式の建物です。和風と洋風の異なる様式が上下に重なる建物は全国的にも他に例が無く珍しい建物で、1階は純和風の数奇屋造りで2階はルネッサンス調の漆喰の白壁に展望室のドーム屋根、尖塔、棟飾りなどが見事です。
1階は囲炉裏がある和室もあります
清藤家の位牌みならず内陣には唐糸御前が祀られます
大正6年には第25代当主・清藤辨吉が清藤家の霊廟である御宝殿を造営しました。内部は撮影が禁止されていますが、鎌倉時代の彫刻金剛界大日如来像を本尊として祀られており、周囲の絢爛豪華な装飾のうち孔雀の蒔絵は日本最大で漆芸の最高峰です。
武学流庭園
盛美園の庭園は清藤家24代盛美が明治35年に武学流の小幡亭樹宗匠を招き9年の歳月を費やして明治44年に完成させた庭園です。庭園は3,600坪(1.2ヘクタール)あり、池を中心に真・行・草の三部からなります。
武学流は江戸時代の初め頃、都落ちしてきた公家が仏教文化と古道文化を取り入れて作ったことが始まりと言われ、明治時代には津軽地方で盛んに造られるようになった技法です。
盛美館の目の前が枯池になります
燈籠の奥の岩は滝を表現しています
庭園の中央には水を入れない枯池と水を入れた池泉の2段に造り、池泉には蓬莱の松を配した鶴亀島があります。正面の築山は仏教思想を現した「真の庭」にあたり、ここにある築山には庭木を整然と配置しています。
池泉と枯池の先に盛美館があります
仏教思想を模った築山です
真の庭の隣にある築山は神道思想を現した「行の庭」になります。大石を組み立てて深山幽谷を造り、滝から水を落として景観に趣を添えます。また神道思想だけあり盛美神社も備えられています。
神道思想を模っています
造化の三神を模っています
盛美館の右側は「草の平庭」で3つ並んだ大刈込は造化の三神を模っているそうです。このような和と洋が織りなす美しい風景は、ジブリ映画「借りぐらしのアリエッティ」の舞台イメージの参考にされたといわれています。なお、盛美園は昭和28年に国の名勝として指定を受けました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒036-0242 青森県平川市猿賀石林1
- アクセス
- 弘南鉄道津軽尾上駅から徒歩10分
- 営業時間
- 9:00~17:00(冬季は時間短縮)
- 料金
- 500円(冬季250円)
- 地図