盛岡城跡公園
盛岡城は盛岡藩初代藩主・南部信直が築造を始めた城で東北地方では珍しく石垣が巡らされた城です。鶴ヶ城、小峰城とともに東北三名城に数えられる国指定史跡です。
盛岡城の築城
盛岡城は盛岡藩初代藩主・南部信直が嫡子利直を総奉行として慶長2年(1597年)に築城を始めたと伝えられています。北上川と中津川の合流点に突き出した丘陵に本丸・二ノ丸・三ノ丸・淡路丸など曲輪を配し、東北地方では珍しく雄大な石垣を構築して内曲輪としています。築城工事は北上川や中津川の洪水にみまわれながらも続けられ寛永10年(1633年)に盛岡藩3代藩主南部重直が入城して以降、藩政時代を通じて盛岡南部氏の居城となりました。
20万石の大名の割に狭いです
東北地方では珍しい総石垣の城郭です
明治時代の廃藩置県により明治5年(1872年)に陸軍省所管となり、明治7年(1874年)には内曲輪の建物の大半が取り壊されて城内は荒廃しましたが、南部氏に払い下げられてから岩手県に貸与され明治39年(1906年)に近代公園の先駆者である長岡安平の設計により岩手公園として整備されました。その後盛岡城跡公園として昭和10年(1934年)に南部氏から盛岡市が買収して管理するようになりました。
盛岡城の遺構
盛岡城の築城は豊臣政権下で蒲生氏郷や浅野長政から本拠地としていた九戸城は不便との助言を受けて不来方と呼ばれていた土地を本拠地を移したことに始まります。南部氏は関ヶ原の戦いで東軍に付いたため所領安堵となり築城は継続され、城の守りを重視したコンパクトな城で東北地方では珍しく花崗岩を積む堅牢な石垣が巡る総石垣の城が完成しました。
高い石垣で守られています
本丸と二ノ丸には御廊下橋が架けられています
本丸は二ノ丸から御廊下橋を渡るか御末御門跡から入ります。それほど広くない本丸は隅櫓と天守跡の石積が残されています。盛岡城の天守は日本一小さな三階建ての天守があり寛永11年(1634年)に落雷により焼失し再建されました。天守は明治維新を迎えるまで健在でしたが、廃城令により天守閣は解体移築されてしまいました。
日本一小さい天守がありました
本丸に近い鶴ヶ池は城を守る内堀でした
盛岡城は北上川と中津川の2つの川を天然の外堀として利用しており、中堀と内堀を設けることで防御を高めました。現在市街地にある池が中堀で、盛岡城跡公園の中にある鶴ヶ池は内堀の跡です。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒020-0023 岩手県盛岡市内丸1番37号
- アクセス
- 盛岡駅から徒歩で15分
- 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図