仙台郡山官衙遺跡群

仙台郡山官衙遺跡群は名取川と広瀬川に挟まれた広大な面積に広がる遺跡群です。7世紀半ばに東北地方には蝦夷と呼ばれる大和朝廷に従わない人たちがいました。この遺跡は7世紀後半から8世紀の初めにかけて蝦夷政策と律令制による支配を行うための役所として機能していた古代の官衙(役所)跡であることが判明し平成19年(2006年)に国の史跡に指定されています。
仙台郡山官衙遺跡
仙台郡山官衙遺跡群は、仙台市の南部に位置する飛鳥・奈良時代の官衙(役所)と寺院からなる遺跡です。7世紀後半から8世紀前半まで多賀城以前の陸奥国府と考えられており、古い順にⅠ期官衙、Ⅱ期官衙、Ⅱ期と同時期に郡山廃寺が営まれていました。
Ⅰ期からⅡ期に規模が大きくなります
現在もなお発掘調査が進められています
Ⅰ期官衙は、柵として真北より東に30~40度振れた方向で造られ中枢部は一本柱列と板塀により区画されています。この周辺には総柱建物の倉庫群や掘立柱建物と堅穴住居が併存する雑舎群、堅穴住居群による区画に分かれています。遺構からは東北地方では稀な畿内産の土師器(はじき)が出土していることから、当時の朝廷と関係のある高級官人が派遣される施設だと考えられています。
柱跡などの遺構があります
Ⅱ期の頃は巨大な官衙が形成されていました
Ⅱ期官衙は、陸奥国府として一辺が約533メートル四方の外溝を巡らせ、内側には約428メートル四方の大溝と塀が巡り官衙域を取り囲んでいます。南西隅と西辺には櫓状の建物が設置され中央部には政庁である正殿があります。
郡山廃寺
Ⅱ期官衙の南には陸奥国で最初の本格的な寺院である郡山廃寺が併設されていました。郡山廃寺は金堂、講堂、僧房、塔などによる伽藍が形成されていたと考えられます。
住宅街の中にあります
郡山廃寺には石組池がありました
周辺には石敷の広場や正方形の石組池などが配置され、石組池は蝦夷に対する服属儀礼などに使用されたと考えられています。郡山廃寺は8世紀後半まで存続しました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒982-0003 宮城県仙台市太白区郡山二~六丁目19
- アクセス
- 地下鉄南北線長町駅から徒歩10分
- 営業時間
- 無休
- 料金
- 無料
- 地図