松島五大堂
松島のシンボルである五大堂は、大同2年(807年)に坂上田村麻呂が東征のおり毘沙門堂を建立したのが始まりです。慈覚大師が延福寺(瑞巌寺の前身)を開いた際、大聖不動明王を中心に左右降三世、軍荼利、大威徳、金剛夜叉の五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれています。
透かし橋
五大堂を参拝するためには2つある「透かし橋」を渡る必要があります。透かし橋は下が透けて見えることから名付けられた橋で、この橋を渡って五大堂のある島に渡ります。眼下には海が見えるため物を落とさないように気を付けないといけません。
足元が透けて見えます
透かし橋の先に五大堂があります
透かし橋の下は海が見えてスリリングな感じです。このような隙間のある橋を採用したのは気を引き締めて五大堂をお参りするためで江戸時代中期に設置されたと言われます。カップルで歩くと思わず手を繋いでしまうことから、透かし橋は縁結び橋とも呼ばれています。
干潮のときです
満潮のときです
松島の潮汐は大潮期の潮差が1メートル程度あります。干潮と満潮は概ね6時間ごとに訪れるため、時間帯によっては潮が満ちた時と引いた時の景色を眺めることができます。
松島五大堂
五大堂は、平安時代初期にあたる大同2年(807年)に東征していた坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立したことに始まります。天長5年(828年)には慈覚大師円仁が瑞巌寺を建立したときに五大堂に五大明王像を安置したことから五大堂と呼ばれるようになりました。伝説によれば、五大明王像を安置したときに毘沙門天が光を発して沖にある島に飛び越えて行き、その島が毘沙門島と言われるようになりました。
松島海岸から五大堂を眺めます
伊達政宗が建て直した国指定重要です
現在の建物は、慶長9年(1604年)に雲居禅師の勧めにより伊達政宗が瑞巌寺の建て直しに併せて鶴衛門家次を棟梁として再建したもので、東北地方現存最古の桃山建築として国の重要文化財に指定されています。堂四面の蟇股には方位に従って十二支の彫刻が施されています。五大堂に安置される五大明王は33年に1度御開帳されます。最近の平成18年(2006年)で、次の御開帳は2039年になります。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒981-0213 宮城県宮城郡松島町松島字町内111
- アクセス
- 松島海岸駅から徒歩10分
- 営業時間
- 8:30~17:00
- 料金
- 無料
- 地図