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矢立廃寺跡

秋田県大館市の旅行で訪れた観光名所、矢立廃寺跡

矢立廃寺跡は後醍醐天皇の側近、無等良雄(万里小路藤原藤房)が出家して遁世した場所と言われます。東北地方における禅寺の先駆と言われる補陀寺と言われます。礎石建物や便所遺構などが発見されており、昭和34年(1959年)に秋田県の史跡に指定されました。

矢立廃寺の造営

矢立廃寺は、12世紀の天治2年(1125年)から承安5年(1175年)頃に存在していたと考えられます。奥州藤原氏初代藤原清衡の末期から2代藤原基衡、3代藤原秀衡までの約50年間の時期に当たります。古くから後醍醐天皇の側近である万里小路藤原藤房が出家して隠遁した故跡として言い伝えられており、江戸時代中期の菅江真澄や二階堂道形の記録では秋田市山内の松原補陀寺は月泉良印が矢立廃寺を遷したものと記されます。

矢立廃寺跡

秋田県大館市の旅行で訪れた観光名所、矢立廃寺跡奥の円錐形の山は女神山です

矢立廃寺跡

秋田県大館市の旅行で訪れた観光名所、矢立廃寺跡高さが違うところに建物がありました

矢立廃寺は、大館盆地北部の女神山と男神山に挟まれるところにありました。矢立廃寺には南北に抜ける古道が整備されており、矢立廃寺の南には10世紀を主体とする古代集落跡の大館野遺跡とも繋がりました。大館野遺跡と矢立廃寺からは同時期の白磁碗が見つかることから、両遺跡は関連があったものと考えられています。

矢立廃寺の遺構

矢立廃寺は数時期にわたり建造され遺跡中央部に仏殿、法堂、方丈と考えられている3棟の礎石建物跡の外に山門と思われる遺跡があり東側には掘立柱による建物と礎石建物の2時期の建物跡が確認されました。昭和後期には更に7棟の建物跡が確認され、礎石建物であることから禅宗寺院跡と考えられてきました。建物が2時期に分かれるのは、1時期の古い段階で火災により廃絶したことが指摘されています。

矢立廃寺跡

秋田県大館市の旅行で訪れた観光名所、矢立廃寺跡背後の山は藤原藤房の墓と伝わります

矢立廃寺跡

秋田県大館市の旅行で訪れた観光名所、矢立廃寺跡発掘により礎石建物や便所遺構が発見しました

遺跡からは岩手県平泉の藤原氏関係遺跡で出土しているものと同様のかわらけや須恵器系陶器、中国福建省産の白磁碗が出土していて、それらは12世紀前半~中頃に比定できます。便所遺構が検出され便所穴から排泄後の清掃具(トイレットペーパーのような用途)である籌木やウリ・ヤマブドウ・アケビ・ナスなどの未消化の種子が出土しました。

まち旅(旅行、観光)の記録

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まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒017-0002 秋田県大館市白沢松原
アクセス
JR大館駅からバスで30分
営業時間
24時間
料金
無料
地図