安藤昌益墓所

安藤昌益は大館市二井田村の農家に生まれ享保17 年(1732)に京都で医学修行を開始し、第3代味岡三伯に師事したとされています。延享元年(1744)に八戸に移住し町医者をしながら平等な社会を求める独自の思想を生み出しました。温泉寺にある墓は平成24 年(2012)に秋田県指定史跡になりました。
安藤昌益と自然真営道
安藤昌益は江戸時代中期に青森県八戸で町医者をしていた思想家です。この頃の八戸は風水害や凶作により飢饉が度々発生し、中でも寛延2年(1749年)の猪飢饉では猪により作物が食い荒らされ、農民3千人以上が餓死しました。町医者の安藤昌益は「万万人にして一人なり」として、封建制度の中にありながらも徹底して全ての人は平等な存在であると説きました。
著書の自然真営道では、万人が自ら耕作して食料や衣服を自給する自然の世を理想として、天と地、男と女、自然と人は互いに調和しながら共生する存在であり、力の強い武士が弱い農民を支配して搾取し栄華を極める現実を否定しました。
温泉寺
大きな寺院ではありません
安藤昌益墓所
晩年に故郷で過ごして生涯を終えました
安藤昌益は宝暦12年(1762年)に故郷の秋田県大館市で60歳の生涯を閉じて温泉寺に葬られました。安藤昌益の思想は生前は有名ではありませんでしたが、のちに安藤昌益の著書「自然真営道」が大館市出身の狩野亨吉により発見され、世に知らされたことで評価されるようになりました。
まち旅(旅行、観光)の記録
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まち旅(旅行、観光)の記録
- 住所
- 〒018-5751 秋田県大館市二井田字贄ノ里
- アクセス
- JR奥羽本線大館駅から車で20分
JR花輪線扇田駅から車で8分 - 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図