大湯環状列石

大湯環状列石は万座環状列石と野中堂環状列石の2つの環状列石(サークルストーン)を主体とする縄文時代後期の大規模な遺跡で、野中堂環状列石の北方には環状になっていない一本木後口配石遺構群があります。昭和31年(1956年)に国の特別史跡に指定され、令和3年(2021年)に「北海道・北東北の縄文遺跡群」として世界文化遺産に登録されました。
大湯環状列石
大湯環状列石は昭和6年(1931年)に発見された万座と野中堂の2つの環状列石を主体とする縄文時代後期の大規模な遺跡です。それぞれの環状列石を取り囲むように掘立柱建物、貯蔵穴、土坑墓などが同心円状に配置され、環状列石の周辺からは土偶や土版、動物形土製品、鐸形土製品、石棒、石刀などの祭祀や儀礼の道具が数多く出土しています。万座と野中堂の2つの環状列石の直線状は夏至の日に太陽が沈む方向を示しているとの考察もあります。
25万平方メートルの敷地面積があります
万座と野中堂の2つの環状列石が主体の遺跡です
7千個もの石が使われ中には重さが200キロを超える石もあります。この大量の石は4キロも離れた大湯川から多くの人により運ばれ、200年以上かけて環状列石が作られたと考えられています。並べられた石は数十個の組石が単位となり、それが集まり環状列石が作られています。一つ一つの石組の下には墓が作られていると考えられており環状列石は集合墓地と考えられます。
日時計として使われていたようです
祭祀に使う土器や土偶が多数発掘されています
周囲からは不思議な形をした土器や石器が多く発見されています。また、鹿角市周辺では産出しないヒスイなども発見されているため、広く交易が行われたと考えられています。土製品はキノコや動物をまねたような形のものや人の顔を模ったものがあり、これらは祭祀に使われたものと考えられています。大湯環状列石は万座環状列石から野中堂環状列石ができ、その後に一本木配石遺構群へと変わります。祭事の変遷について知る手がかりともなると考えられています。
万座環状列石
万座環状列石は約6千5百個の石材が使われて直径約52メートルのストーンサークルができています。発掘調査から共同墓地であることが判明していて数個から数十個からなる組石の1つ1つが墓で、その集合体が環状列石を成します。
環状列石の周囲に掘立柱建物がありました
5本の柱を立てた跡で用途目的は不明です
掘立柱建物が復元されていますが、ここで火を使った痕跡が無いことから人が住んでいた痕跡はないため、倉庫や祭事や石を運搬した人が使用した建物と言われています。
野中堂環状列石
野中堂環状列石は万座環状列石と同じような造りになります。そのため建造された年代はどちらも同時期と考えられています。万座環状列石は6千個以上の石材が使われたのに対して野中堂環状列石では約2千個の石材が使われて最大径44メートルの環状に石が並べられています。
二重の環状を形成しています
環状列石の中心から見て北西側にあります
復元はされていませんが万座環状列石と同じように環状列石の外側に掘立柱建物がありました。また野中堂環状列石の南側30メートル地点からは配石遺構群が発見されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒018-5421 秋田県鹿角市十和田大湯万座27
- アクセス
- JR十和田南駅からバスで15分
JR鹿角花輪駅からバス35分 - 営業時間
- 9:00~18:00(通常期)
- 料金
- 無料(展示ホール:320円)
- 地図