安保三人衆と中世城館

鎌倉時代の鹿角郡には地頭として鹿角四頭と呼ばれる安保氏・成田氏・奈良氏・秋元氏が治めていました。このうちの安保氏の長子は大里上総、次子は花輪次郎、三子は柴内弥次郎の祖になり阿保三人衆と呼ばれました。鹿角には安保一族が築いた城館の遺構が残されています。
大里館跡
大里館は、鎌倉時代に安保氏の一族である大里上総の居館でした。天正18年(1590年)に南部家の家督争いで九戸政実が挙兵すると、大里当主の大里親基は九戸政実に加担して九戸城に籠り豊臣秀吉の奥州仕置軍と戦いました。九戸軍は善戦しましたが天正19年(1591年)に九戸城は開城し、大里親基は九戸政実と共に処刑されました。
大館(主郭)に向かう坂道です
曲輪の奥にある虎口の先は深い藪です
九戸の乱が鎮圧されると組織的に反抗する勢力が無くなり平和が訪れたため、鹿角にある多くの城館は浅野長政の家臣内山助右ヱ門による鹿角の館崩しで破却されました。大里館もこのときに廃城となりました。
花輪館
花輪館は、鎌倉時代に安保氏が臥牛本館に入り花輪次郎と称したのが始まりとされます。中世の大館の一角を利用したもので御館・北館・南館からなります。永禄9年(1566年)に花輪親行は檜山城の安東愛季に味方して南部家の長牛館を攻めましたが、永禄11年(1568年)に南部家の鹿角侵攻で敗北し、花輪城は南部家の支配下となります。
大正時代に建造された旧鹿角郡公会堂があります
花輪館は御館・北館・南館からなる連郭館です
天正18年(1590年)に南部信直の命により大光寺正親が花輪城主になると、明暦3年(1657年)に毛馬内九左衛門長次、延宝2年(1674年)に中野吉兵衛康敬が入り秋田藩境の守備に当たりました。花輪館は九戸政実の乱の戦後処理で破却されず残されたようです。
旧関善酒店
花輪館の麓には安政3年(1856年)に創業した造り酒屋の旧関善酒店の主屋が残されています。昭和58年(1983年)まで営業した酒屋でこの地域の政治・経済・文化の発展に寄与していました。現在は関善賑わい屋敷として明治38年(1905年)に建造された主屋が一般に公開されています。
明治38年(1905年)に建造された建物です
日本最大級の木造の吹抜天井は木組みが剥き出しです
旧関善酒店の主屋は秋田県では鹿角地域にのみ現存していると言われる昔懐かしい「こもせ」を持ちます。明治期の伝統的商家の特徴を随所に残しており、日本最大級の吹抜木造架構は秋田杉を使用した豪壮な木組みが剥き出しています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒018-5201 秋田県鹿角市花輪(花輪城)
〒018-5141 秋田県鹿角市八幡平堀合(大里城) - アクセス
- JR鹿角花輪駅から徒歩15分(花輪城)
JR陸中大里駅から徒歩10分(大里城) - 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図