亀田城と岩城氏

亀田岩城氏
岩城氏は常陸国(現茨城県)を統治する名門で、平安時代後期の前九年の役で活躍して奥州岩城(現在の福島県いわき市周辺)を与えられ平安時代から関ヶ原の戦いまで統治していました。戦国時代に常陸国(現茨城県)を治める佐竹義宣は、弟の貞隆を岩城家の養子として送り込み岩城貞隆として家督を継ぎます。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川家康から佐竹氏と共に西軍の上杉氏を攻めるように指示がありましたが、佐竹家と岩城家は消極的な態度を示したため戦後の処分で佐竹家は秋田久保田藩に国替えとなり、岩城家はすべての領地を失いました。
岩城氏が除封になるまで本拠としました
真田幸村の血を引く御田の方の甲冑です
岩城貞隆は大阪夏の陣で活躍して現在の長野県信濃国中村に領地を与えられて大名に復帰すると、由利郡を治めていた本多正純が改易となり元和9年(1623年)に息子の岩城吉隆が亀田に入部して岩城亀田藩が誕生しました。亀田に入部して3年後に岩城吉隆は秋田藩佐竹家に養子になり叔父の佐竹宣家が岩城宣隆として後を継ぎます。この岩城宣隆の妻が真田幸村の娘である御田の方です。
亀田岩城氏に関する展示があります
亀田藩岩城家の歴代藩主が眠ります
明暦2年(1656年)に3代藩主となった岩城重隆は月峯公と呼ばれる名君で新田開発を行いました。4代藩主岩城秀隆のときに世継ぎに困り伊達家から養子を得て岩城隆韶が5代藩主となり、岩城隆韶は学問を好み朱子学を基盤とする亀田藩学の基礎を作り、7代藩主岩城隆恕が7代藩主となり儒学を教える長善館と医学を教える上池館を建てました。幕末の文化14年(1817年)に岩城隆喜が8代藩主となり城代格となりますが、文久元年(1861年)に12代藩主岩城隆邦の代で明治維新を迎えました。
亀田城
亀田城がある地域は由利十二頭の赤尾津氏が治めており、関ヶ原の戦いで最上氏に属して東軍として参戦しました。戦後に赤尾津氏は解散して最上氏に仕えたと言われ由利郡は最上氏が統治しました。元和8年(1622年)に山形藩主最上氏が改易されると由利郡は本多正純の所領となりましたが、翌年に本多正純も改易となり由利郡は亀田藩・本荘藩・仁賀保藩・矢島藩に分割され亀田藩に岩城吉隆が入りました。
復元された亀田城の山門です
佐藤八十八美術館の敷地内に主郭があります
岩城吉隆はかつて由利十二頭の赤尾津氏が居城にしていた赤尾津城の麓に陣屋を築きました。幕末になり8代藩主岩城隆喜の代で城主格となり亀田陣屋は亀田城と呼ばれるようになりました。12代藩主岩城隆邦のときに新政府軍と旧幕府軍の争い戊辰戦争が起こります。亀田藩は奥羽越列藩同盟で旧幕府軍に属しましたが、久保田藩とともに奥羽越列藩同盟を抜けて新政府軍に加担しました。庄内藩から攻められた亀田藩は旧幕府軍に加担し、新政府側の久保田藩から攻められて亀田城は焼失しました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒018-1223 秋田県由利本荘市岩城下蛇田字高城4
- アクセス
- JR羽後亀田駅から10分
- 営業時間
- 9:00~16:00(天鷺村)
- 料金
- 無料
- 地図