まいぷら

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綴子地区の江戸遺跡

秋田県北秋田市の旅行で訪れた観光名所、大堤一里塚(綴子一里塚)

徳川家康により徳川幕府が開かれると現在の福島県から秋田県を経由して青森県まで羽州街道が整備されました。参勤交代などでも使われる道で多くの人が往来していた街道には道しるべとして大堤一里塚(綴子一里塚)が設置されました。また羽州街道の近くの綴子神社には私塾内館塾が設けられ、内館文庫に蔵書が保管されるなど庶民教育の場になりました。

大堤一里塚(綴子一里塚)

江戸時代初期に徳川幕府により現在の福島県から青森県を結ぶ主要街道として整備された羽州街道の一里塚で秋田藩主佐竹義宣により設置されました。大堤一里塚は街道を挟んで二つの盛土が残り、秋田県北部を代表する貴重な一里塚として昭和62年(1987年)に秋田県の史跡に指定されています。

羽州街道

秋田県北秋田市の旅行で訪れた観光名所、綴子地区の江戸遺跡_羽州街道道幅が広く多くの旅人などが行き交いました

大堤一里塚

秋田県北秋田市の旅行で訪れた観光名所、綴子地区の江戸遺跡_大堤一里塚(綴子一里塚)江戸日本橋から167里の地点にあたります

大堤一里塚は江戸日本橋から167里の地点にあたり久保田藩領内では羽州街道の塚として南端の院内から数えて54番目の塚になります。大堤一里塚の建造年は不明ですが、一里塚は旅人の道しるべや人馬を借りる駄賃の目安にもなりました。塚の前は道幅が広く杉や雑木林に囲まれ往時の面影を偲ぶことができます。

内館文庫跡

内館文庫は別当武内氏の開祖である常覚院元瑞道亨が綴子神社の境内に弘長2年(1262年)に創設して、山伏修験道奥義秘伝書など平安期からの古文書を所蔵していました。慶安元年 (1648年)には綴子神社の境内に第11代別当である常覚院實明が秋田県最古と言われる私塾の内館塾を開き、幕末まで地域の庶民教育に貢献する場に発展していきました。

綴子神社

秋田県北秋田市の旅行で訪れた観光名所、綴子地区の江戸遺跡_綴子神社綴子神社境内に寺子屋がありました

綴子神社

秋田県北秋田市の旅行で訪れた観光名所、綴子地区の江戸遺跡_綴子神社綴子神社境内の寺子屋が内館文庫です

享保15年(1730年)に久保田藩の許を得て内館塾の拡充強化して伊藤仁斎の下で学んだ宮野尹賢や盤若院英泉などが塾生の指導にあたりましたが、明治6年(1873年)に学制が施行されたことで明治7年(1874年)に内館塾の機能が綴子小学校に移行されました。内藤文庫にある神道・修験道・儒学・仏教・国文・国学・天文・暦学・医学など広範囲にわたる蔵書は、昭和43年(1968年)に明治維新百年記念大祭に併せて竣工した内館文庫収蔵庫で引き続き保管されています。

まち旅(旅行、観光)の記録

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まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒018-3301 秋田県北秋田市綴子西館
アクセス
JR鷹ノ巣駅からバスで10分
営業時間
24時間
料金
無料
地図