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本堂城跡

秋田県仙北郡の旅行で訪れた観光名所、本堂城

本堂城は現在の秋田県美里町の北部を支配した本堂氏の居城です。真昼山麓の元本堂城を居城としていましたが、天文4年(1535年)に本堂城を築き居城としました。本堂氏は小領主でしたが単独で戦国時代を生き抜き、江戸時代は旗本として明治時代まで存続し続けました。本堂城は関ヶ原の戦い後の国替えで本堂氏が常陸国に転封となると同時に廃城となりました。

秋田県美里町を治めた本堂氏

本堂氏は、鎌倉時代前半に陸奥国和賀郡を与えられた和賀忠頼の三男である和賀忠朝が承久2年(1220年)に出羽国の本堂館ノ沢の地に進出して本堂氏として土着しました。本堂氏は戸沢氏や小野寺氏の諸勢力に挟まれていましたが、いずれの勢力にも属すること無く独自の勢力を保ちました。戦国時代になると本堂義親は戸沢氏と戦い鶯野で討死し、その跡を継いだ本堂頼親も金沢城の山本氏との戦いで討死するなど3代続けて当主が討死する苦難の時期がありました。

本堂城

秋田県仙北郡の旅行で訪れた観光名所、本堂城台地上の土地に築かれています

本堂城西門跡

秋田県仙北郡の旅行で訪れた観光名所、本堂城_西門跡本丸のあたりは広々とした平坦な土地です

戦国時代後半に付近一帯を支配する小大名に成長すると、本堂忠親は天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐に参陣し、同年に行われた上杉景勝の家臣藤田信吉による検地にも協力したことから元本堂、黒沢などの中郡約9千石の領地を安堵されます。忠親の跡を継いだ本堂茂親は関ヶ原の戦いで東軍として参戦します。最上義光の指揮のもと上杉氏や小野寺家との戦いで活躍し、慶長6年(1601年)に常陸国新治郡志筑に転封になり明治維新を務めるまで同地を治めました。

本堂氏の居城・本堂城

本堂氏は真昼山麓の西端に位置する山城の元本堂城を居城としていましたが、天文4年(1535年)に本堂忠親が矢島川が流れる六郷複合扇状地の扇端近くに本堂城を築いて居城を移しました。本堂城は本丸と二ノ丸からなり、本丸は東西182メートル、南北273メートルの長方形で周囲を4~5メートルの高さの土塁を巡らせていました。本丸の外周は幅約10メートルの内堀で覆われ、外側には東西435メートル、南北405メートルの規模の二ノ丸を有していました。

本堂城土塁跡

秋田県仙北郡の旅行で訪れた観光名所、本堂城_土塁跡現存する遺構は堀や土塁のみです

本堂城東門跡

秋田県仙北郡の旅行で訪れた観光名所、本堂城_東門跡東西南にある門のうち東門が城下町に繋がります

本堂城の南に正門があり東西の中央部にもそれぞれ門があり東門だけが城下町と繋がりました。小領主としては規模の大きな城でしたが、慶長6年(1601年)に本堂氏が常陸国に転封となり本堂城は廃城となりました。現在は水田や畑地として利用され東北端には土塁の一部が残ります。

まち旅(旅行、観光)の記録

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まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒019-1512  秋田県仙北郡美郷町本堂城回
アクセス
JR大曲駅からバスで25分
営業時間
24時間
料金
無料
地図