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西馬音内城跡

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内城跡

西馬音内城は稲庭城を居城にした小野寺氏の支城の一つで昭和63年(1988年)に秋田県の史跡に指定されました。この地域の夏の風物詩である西馬音内盆踊りは、西馬音内を統治した主君を偲んで家臣が踊ったことが起源の一つで徳島の阿波踊り、岐阜の郡上踊りとともに日本三大盆踊りと呼ばれています。

西馬音内小野寺家

下野国の小野寺城を基盤としていた小野寺道綱は、文治5年(1189年)に源頼朝の藤原泰衡征討に参加して軍功を挙げて雄勝郡に領地を与えられました。小野寺道綱は源頼朝から厚い信頼があり幕府の元老として鎌倉に移住し庶子の小野寺重道が雄勝郡を治めたと言われます。小野寺道綱は承久3年(1221年)に後鳥羽上皇が北条義時征伐の勅命を下した承久の乱で北条泰時の軍に属して京都宇治川の戦いで戦死しています。

宝治元年(1247年)の宝治合戦で三浦氏が滅ぶと三浦泰村の次男である三浦景泰が姉の夫の小野寺道業の庇護を受けて稲庭で小野寺経道と名乗り嫡男である小野寺忠道を惣領として、小野寺道直が西馬音内に本拠を置いて西馬音内小野寺氏の祖となりました。その弟の小野寺道定は湯沢に配置されて湯沢小野寺氏の祖となります。

西馬音内城

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内城広大な敷地がある山城です

西馬音内城十三森塚

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内城_十三森塚本丸まで森の中に細い道が続きます

小野寺氏は小野寺輝道が横手城を拠点として全盛期を築きますが、北の安東氏と南の最上氏から侵攻されるようになり、天正9年(1581年)に鮭庭秀綱が最上氏に降伏しました。当主の小野寺輝道は織田信長に臣従を申し入れるため上洛し留守を嫡男義道に任せますが、反乱を恐れた義道は由利十二衆に人質を要求したため反発を招き内乱に発展しました。

由利衆の矢島五郎満安は、妻が西馬音内城主の小野寺茂道の娘と言うこともあり由利衆で孤立して他の由利衆から居城を攻められて妻の実家の西馬音内城に身を寄せました。この混乱の中で小野寺輝道が死去すると小野寺義道が家督を相続し矢島満安に謀反の疑いをかけて軍勢を差し向けました。西馬音内城主の小野寺茂道はこれに反発して兵を出しますが、責任を感じた矢島満安は身の潔白を示すため文禄元年(1592年)に西馬音内城で自刃して果てました。

矢島五郎満安自刃の地

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内城_矢島五郎満安自刃の地小野寺義道に疑われて自刃しました

西馬音内城本丸跡

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内城鬱蒼とした森の中に本丸はあります

由利衆との交戦で破れた小野寺氏は、由利衆に人質を返却して求心力を失い、さらに最上義光の謀略により長年小野寺氏を支えてきた重臣八柏道為を殺害して完全に傾きます。西馬音内城主小野寺茂道は矢島満安を自刃に追い込んだ主家と疎遠になり、文禄4年(1595年)に最上義光が雄勝郡に侵攻したときに最上家に下りました。のちに西馬音内城は小野寺氏が奪還して小野寺茂道は城主に返り咲きますが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで小野寺義道が上杉景勝の説得により西軍に参加したため、東軍の最上氏から侵攻されて西馬音内城は落城し、戦後の処分で小野寺家は改易され滅亡しました。

西馬音内城の遺構

西馬音内城は建治3年(1277年)に小野寺道直が築いたといわれます。標高180メートルほどの山に築かれた総面積23万平方メートルの広大な城郭は西馬音内川と断崖に守られた天然の要塞です。中世の山城としては県内有数のもので、天正18年(1590年)に小野寺茂道が小田原参陣にあたり役銭を賦課して城下町を形成した記録があります。

西馬音内城大手門跡

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内城跡通り沿いに大手門跡があります

西馬音内城の遺構

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内城跡西蔵寺に移築された唯一の建造物遺構です

石垣が無い土の城で、主郭から二ノ丸などの曲輪が点在して、曲輪を守るように土塁や堀のほか櫓が置かれた盛土の遺構が残されています。近くにある西蔵寺には西馬音内城から移設されたと言われる城門が残されており、これが西馬音内城の唯一の建造物遺構になります。

西馬音内盆踊り

西馬音内盆踊りは、阿波踊り、郡上おどりと合わせて日本三大盆踊りに数えられます。正応年間(1288~1293)に発祥して700年以上前から続いていると言われる西馬音内盆踊りは、豊作を祈願した踊りと小野寺氏家臣たちによる領主を偲んだ踊りが融合したものと言われます。西馬音内盆踊りの特徴は彦三頭巾と編み笠で顔を隠して藍染浴衣と端縫い衣装で踊るところにあり、端縫い衣装は母から娘に代々受け継がれるものが多く、中には300年前に造られた衣装もあります。

西馬音内盆踊り

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内盆踊り笠で顔を隠して踊ります

端縫い衣装

秋田県雄勝郡の旅行で訪れた観光名所、西馬音内盆踊り端縫い衣装先祖代々から受け継がれる衣装です

夏の風物詩として羽後町西馬音内地区に伝統的に伝わる西馬音内盆踊りは昭和22年(1947年)に西馬音内盆踊保存会を結成して継承し続けています。こうした努力もあり令和4年(20222年)に風流踊の一つとしてユネスコ無形文化財に指定されました。

まち旅(旅行、観光)の記録

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まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒012-1137 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内堀回
アクセス
JR湯沢駅からバスで西馬音内堀回下車、徒歩5分
営業時間
24時間
料金
無料
地図