須賀川牡丹園
須賀川牡丹園は、明和3年(1766年)に薬種商を営んでいた伊藤祐倫が牡丹の根を薬用にするために栽培したのが始まりです。牡丹の見ごろである5月には、東京ドームの3倍の広さを持つ10ヘクタールの敷地に290種7000株の牡丹の花が咲き乱れます。昭和7年(1932年)には牡丹園として日本で唯一、国の名勝に指定されました。
須賀川牡丹園の始まりと発展
須賀川牡丹園は中世に藤原鎌足の後裔で地元豪族の二階堂家の庭園跡と伝えられています。明和3年(1766年)に薬種商を営んでいた伊藤祐倫は、牡丹の根を薬用にするために宝塚から持ち帰り栽培を始めました。
伊藤祐倫が薬用として牡丹の栽培を始めました
柳沼源太郎が観賞用として牡丹栽培を始め牡丹園となりました
明治初期に伊藤家から綿糸商を営んでいた柳沼家に牡丹園が譲渡され、観賞用の牡丹栽培が始められました。柳沼源太郎(1875~1940)は牡丹園に移り住み寝食を忘れるほど牡丹の手入れを行い、現在の牡丹園の形にしました。この甲斐もあり明治36年(1903年)には地名が牡丹園と改められています。
牡丹焚火
牡丹園では枯れた牡丹を供養するために牡丹焚火と呼ばれる行事が毎年11月第三土曜日に行われます。この行事を始めたのも柳沼源太郎で、昭和53年(1978年)には俳句歳時記の冬の季語として牡丹焚火が採択されています。
牡丹焚火は冬の季語になりました
牡丹焚火に感動して歌を詠んでいます
詩人北原白秋は晩年に眼を煩い悩んでいたとき、柳沼源太郎は知人を通じて牡丹の枯木を寄贈しました。牡丹の枯木で焚火をした北原白秋は牡丹焚火に感激して「須賀川の牡丹の木のめでたきを炉にくべよちふ雪ふる夜半に」と詠んでいます。
牡丹稲荷神社
牡丹園には朱色の鳥居が並ぶ牡丹稲荷神社があります。牡丹稲荷神社の社は小さいですが柳沼家と周辺の農家の人たちが牡丹講を組織して大切に管理され尊崇されてきました。
朱色の鳥居が並びます
地元の人々により管理されてきました
牡丹稲荷神社に参拝すると女の子は牡丹のように美しく、心優しく、健やかに育つと言われています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒962-0815 福島県須賀川市牡丹園80−1
- アクセス
- JR須賀川駅からバスで15分
- 営業時間
- 8:30~17:00
- 料金
- 無料(4月~5月:500円)
- 地図