まいぷら

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鴻巣宿

埼玉県鴻巣市の旅行で訪れた観光名所、鴻巣駅前広場

鴻巣駅の周辺は、江戸時代に中山道の宿場町である鴻巣宿が整備され交通の要衝として発展しました。江戸から程よい距離にあるため徳川将軍家が鷹狩を行うときに休泊施設として使用した鴻巣御殿が築かれていました。鴻巣はひな人形の産地として江戸末期には江戸、越ヶ谷とともに関東三大雛市と呼ばれました。

鴻巣宿の関連遺構

鴻巣宿は慶長7年(1602年)に本宿(現北本市)から移設された宿場町です。江戸から7番目の宿として栄えた鴻巣宿は、忍城に至る忍道、松山に至る吉見道、私市(加須)に至る道などの分岐に位置し、天保14年(1843年)には人口2千人以上が住んでいました。

鴻巣宿問屋

埼玉県鴻巣市の旅行で訪れた観光名所、鴻巣宿問屋問屋の跡が残されています

鴻巣宿本陣

埼玉県鴻巣市の旅行で訪れた観光名所、鴻巣宿本陣武家や公家の休泊施設がありました

鴻巣宿は埼玉県内にある9つの宿場町(蕨、浦和、大宮、上尾、桶川、鴻巣、熊谷、深谷、本庄)の中で人口、戸数ともに3番目の規模を誇りました。街道沿いには武家や公家が利用する休泊施設である鴻巣宿本陣がありました。

鴻巣御殿

埼玉県鴻巣市の旅行で訪れた観光名所、鴻巣御殿徳川将軍家の休泊施設でした(江戸図屏風)

鴻巣東照宮

埼玉県鴻巣市の旅行で訪れた観光名所、鴻巣東照宮鴻巣御殿の跡地には東照宮が建てられました

鴻巣は江戸から約12里(約48キロ)の距離にあるため、将軍家が鷹狩を行う際の休泊施設として文禄2年(1593年)に鴻巣御殿が築かれました。家康、秀忠、家光の3代にわたって使用されましたが寛永7年(1630年)頃を最後に使用されなくなりました。元禄4年(1691年)には御殿地に東照宮を祀り除地となりました。東照宮は明治時代に鴻神社と合祀されました。

ひな人形と花火

明治16年(1883年)に開業したJR鴻巣駅の駅前広場には「ひな人形と花の町」と紹介するモニュメントが設置されています。鴻巣市のひな人形は江戸時代に農閑期の副業として制作を始めました。明治時代に入るとさらに盛んになり鴻巣の人形業者は30件、職人は300人いたと言われます。

鴻巣の貴重な地場産業であるひな人形を広く宣伝するため、毎年2月中旬から3月初旬に鴻巣びっくりひな祭りが開催されます。高さ7メートルで31段ある日本一高いピラミッドひな壇が展示されます。

ひな人形

埼玉県鴻巣市の旅行で訪れた観光名所、ひな人形ひな人形のまちです

四尺玉

埼玉県鴻巣市の旅行で訪れた観光名所、四尺玉四尺玉の重さが世界一に認定されたことがあります

鴻巣市では平成14年(2002年)からこうのす花火大会が開催されており、平成23年(2011年)に打ち上げられた「鳳凰乱舞」では、約4分間に尺玉300発、三尺玉2発の計302発の尺玉以上の花火が、1分間平均で約75.5発となり日本一に認定されました。

さらに平成25年(2013年)には関東初の四尺玉の打ち上げに成功しました。玉の重さは464.826キロありギネス世界記録に認定され、その記録を記念して駅前広場にモニュメントが設置されています。現在は、アラブ首長国連邦で打ち上げた直径139.7センチ、重さ1087.26キロの花火がギネス世界記録に認定されています。(2023年現在)

まち旅(旅行、観光)の記録

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住所
〒365-0038 埼玉県鴻巣市本町1丁目2−39
アクセス
JR鴻巣駅
営業時間
特になし
料金
無料
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