意富比神社(船橋大神宮)
船橋市民に親しまれている船橋大神宮は、正式名を「意富比神社(おおひじんじゃ)」といい日本の総氏神・天照皇大神を祀る船橋地方最古の神社です。境内には徳川家康を祀る常盤神社や船橋市のシンボルの一つである千葉県指定有形民俗文化財に指定される燈明台があります。
意富比神社(船橋大神宮)
意富比神社(船橋大神宮)は、景行天皇40年(110年)に日本武尊が東国平定の折、平定成就と旱天で苦しむ民のために天照大御神を祀り祈願したところ御神徳の顕現が現れたことが創建の始まりと言われます。
戦国時代までは、この地域で勢力を誇っていた千葉氏の豪族富氏が宮司を務めており、鎌倉時代には日蓮上人が当神社で断食を行い自筆の曼荼羅と剣を奉納したと言われています。
階段を上ると神社があります
神門の奥に拝殿があります
慶応4年(1868年)に戊辰戦争の一つである船橋戦争が起こり船橋宿は戦火に巻き込まれました。意富比神社は幕府方の拠点であったため砲撃が加えられ意富比神社の大半が焼失しました。
日本武尊をご祭神とする船橋のお酉様
五穀豊穣の神様を祀ります
豊受大神を祀る外宮です。 豊受大神は伊勢の豊受大神宮に祀られ、天照大神の食事を司る神様です。五穀豊穣と衣食住の守り神として祀られます。社殿は、第62回神宮式年遷宮のあと由貴御倉を譲与され移築されたものです。
燈明台と船玉神社
意富比神社にはもともと地元の太陽神である意富比神(大日神)が祀られ、特に東京湾の漁民の信仰を集めていました。かつては神社の前面まで東京湾が広がっていたことから、海の安全に関連する施設や社殿が奉納されています。
境内にある燈明台は、慶応4年(1868年)の戊辰戦争で焼失しましたが明治13年(1880年)に地元漁業関係者が再建した灯台です。1、2階は和風で3階が洋風の和洋折衷の灯台です。高さ約12メートルで明治13年に日本で初めて石油ランプと反射鏡を使用したため、光は約6マイル(11キロメートル)離れたところまで届きました。
明治28年(1895年)に停止するまで政府公認の施設灯台として利用され、現存する燈明台で国内最大級の民間灯台であり、千葉県有形民俗文化財に指定されています。
明治時代に建造された民間灯台です
全国でも珍しい船の形をした神社です
境内には船玉神社があります。前部が船の形になっている社殿で、海上交通安全のために地元漁協より寄進されました。主祭神は天鳥船命・住吉命が祀られます。
常盤神社
常盤神社は意富比神社を庇護した徳川家康が建立したと言われます。門などに徳川家の家紋である三つ葉葵が付されていて船橋の東照宮とも呼ばれます。
色鮮やかな唐門です
御祭神に徳川家康も含まれています
御祭神として中央に日本武尊、左に徳川家康と徳川四天王である井伊直政、本多忠勝、酒井忠次、榊原康政、右に徳川秀忠を祀ります。徳川秀忠は家康の前歯を祀り家光が秀忠の像を祀っているそうです。
奉納相撲と神楽
意富比神社では毎年10月に神楽と奉納相撲が行われます。奉納相撲は天正18年(1590年)に行われた徳川家康の上覧相撲に起源を持つ。鷹狩に訪れた徳川家康が船橋御殿に宿泊した際、相撲に戯れていた子供の姿を見て、船橋大神宮に奉納されたのが起源と言われ、幕府が勧進元となった由緒ある素人相撲です。
徳川家康の上覧相撲が起源です
市指定文化財の神楽が奉納されます
境内の神楽殿では、市の指定文化財に指定されている船橋大神宮の神楽が元日や節分などに奉納されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒273-0003 千葉県船橋市宮本5丁目2−1
- アクセス
- 京成線大神宮下駅から徒歩3分
JR船橋駅から徒歩15分 - 営業時間
- 特になし
- 料金
- 参拝無料
- 地図