那古寺(那古観音)
那古寺は館山市街から少しはずれた那古山の中腹にあります。元正天皇の養老元年(717)に行基菩薩が老翁のお告げにより、海中より香木を得て千手観音像を刻み祈念したところ、直ちに効験あり勅願によって山上に伽藍が建てられたとあります。那古寺は坂東三十三所観音巡礼の結願寺になっています。
那古寺(那古観音)の境内
那古寺は真言宗の古刹で千手観世音菩薩を本尊としています。奈良時代の養老元年(717年)に行基菩薩が那古の海中から得た霊木で観世音菩薩の像を刻み天皇の病気平癒を祈願しました。その観世音菩薩像が本尊となっています。
駐車場から裏坂と呼ばれる参道を進むと仁王門があります。仁王門は寺院の建物を守る金剛力士像が安置されています。 昭和36年の建造ですが永正8年(1511年)に修理再建された記録があります。
昭和36年に建造された仁王門です
仁王門をくぐってすぐにある古い手水舎です
鐘撞き堂と呼ばれる鐘楼も昭和51年の建築で梵鐘も同じときの新しいものですが、永享12年(1440年)には梵鐘が造られたと記録されています。仁王門をくぐって右手の堂が阿弥陀堂で、鎌倉時代の阿弥陀如来像が安置されています。建物は震災前からのものです。
意外に昭和51年建造の鐘楼です
阿弥陀如来が安置されています
多宝塔は江戸時代中期の宝暦11年(1761年)に住僧の憲長により建立されました。宝塔の中には多宝如来と釈迦如来が安置され、慶長14年(1609年)に作られた釈迦如来も安置されています。千葉県内の多宝塔は那古寺多宝塔のほか石堂寺多宝塔しかありません。
かつて源頼朝は本尊の千手観世音菩薩に帰依し七堂伽藍を建てました。また関東公方・足利氏や里見氏からも手厚く敬われたため寺勢は伸張し、江戸時代には鶴岡八幡宮の別当を兼ねて300石を領する大寺となりました。
江戸中期に再建された多宝塔です
那古寺の中心となる堂宇です
那古寺の中心となる観音堂は江戸時代中期の宝暦8年(1758年)に再建されました。五間四面の堂で入母屋の屋根をかけた大きな建物です。内部は内陣と外陣に分けられ、その境には完成時に奉納された龍の欄間彫刻がはめ込まれています。内陣の中心にある宮殿に本尊の千手観音像が祀られ、その両脇に不動明王像と地蔵菩薩像が配されています。宮殿は天明元年(1781年)に建立されました。
崖に作られた大黒殿などの堂宇
閼伽井に祀られた弁財天
観音堂を正面にみて左手に大黒天を祀る大黒堂があります。その上の崖には右手に岩船地蔵、左手に竜王堂があります。岩船地蔵は新造船の安全祈願や船酔い止めなど漁師の信仰があり、舟型石に乗った地蔵菩薩が祀られ小さな石の舟型品が50個ほど奉納されています。竜王堂には仏法を守護する竜王が祀られています。行基菩薩が那古の海で観音の霊木を見つけたときの由緒伝承にも竜神の話しが登場しており、水との関連から竜王には海上守護の信仰があります。
那古寺裏参道にあたる観音堂の麓に閼伽井弁天が祀られています。元禄16年(1703年)の地震で倒壊した寺を再建する際に伊勢屋金物店の伊勢屋甚右衛門が伊豆石を運び、井戸に石組したというのが霊水の閼伽井です。
那古寺本坊
那古寺の本堂は那古山の中腹にありますが、その麓には那古寺の駐車場と住職がおり庫裡や寺務所がある本坊が置かれています。現在の建物は関東大震災後の昭和9年に建築されています。
住職がおり庫裡や寺務所があります
千葉県最大の天然記念物のソテツです
本坊の前には館山市の天然記念物にも指定されている「那古寺の大蘇鉄」があります。嘉永7年(1854年)に力士の一力長五郎が奉納したもので、幹が12本に枝分かれしている樹高6mを超える館山市内で最も大きなソテツです。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒294-0055 千葉県館山市那古1125
- アクセス
- JR那古船形駅より徒歩約10分
- 営業時間
- 08:00~17:00
- 料金
- 無料
- 地図