赤山地下壕跡
赤山地下壕跡は館山市最大の地下壕で館山海軍航空隊の防空壕として使われたと考えられています。壕内には格納庫、兵舎、発電所のほか病院施設までありました。全長1.6キロメートルと全国的にも大きな壕で、館山市を代表する戦争遺跡として館山市指定史跡に登録されています。
赤山地下壕跡
赤山地下壕跡は、凝灰岩質砂岩を素掘りした総延長約1.6キロメートルの地下壕で、建造年は定かではありませんが、昭和16年(1941年)の太平洋戦争開戦前に地下壕がつくられた例はないため、太平洋戦争末期の昭和19年頃から建設が始まったと推定されています。館山海軍航空隊の防空壕で基地の司令部・奉安殿・戦闘指揮所・兵舎・病院・発電所・航空機部品格納庫・兵器貯蔵庫・燃料貯蔵庫として機能していました。
赤山地下壕跡は、およそ250メートルが公開されています。地下壕は突貫工事で造られた秘密基地のため暗くて狭い箇所があります。このため受付を済ませるとヘルメットと懐中電灯を借りることになります。感染症対策のため頭に薄手の防止を付けてからヘルメットを被りますので安心して着用できます。
豊津ホールで受付を行います
暗くて狭い地下壕に入るためフル装備です
豊津ホールのすぐ背後に地下壕への入口があります。平成16年(2004年)からおよそ250メートルが一般公開されるようになりました。地下壕に入ってすぐに自力発電所跡があり、コンクリートで補強された壁には昭和20年に航空隊正門前の変電所から移転されディーゼルエンジンが2台あったそうです。
動物の侵入を妨げるため扉があります
空襲では天井から砂が落ちてきました
発電所の先には変電所電気員の待機所跡があります。窪みには2段ベットがあり10人位が交代勤務していたそうです。空襲が起こると振動で天井がパラパラと崩れてきたと云いますので、不安な中で勤務していた様子が伺えます。
待機所跡の先には通路側面に縦長の窪みがあります。この窪みは電話番が腰掛けて勤務していたそうです。緊急な連絡に対応するため席を離れる訳にはいかないためなのか、座席の左側はトイレになっていて桶が置いてあったそうです。
腰掛の隣はトイレになっていました
御真影を奉安していた窪みです
地下壕の最奥にはガンルームと呼ばれる少尉クラスの士官たちの部屋のほか、地下壕で大変重要な役割を持っている奉安殿という部屋がありました。空襲の時には航空隊の基地から運ばれた御真影をこの部屋の窪みに掲げていたそうです。
地下壕はツルハシを使って人力で掘り進めており、壁はツルハシで削った跡が残っています。地層は凝灰質砂岩で海底から斜めに隆起してこの岩盤は誕生しています。このため地下壕は地層が露出しており斜めに模様ができあがっています。
地層が露出して模様ができています
進入禁止のところは柵があります
赤山地下壕は太平洋戦争が終戦すると忘れられた存在になっていましたが、地下壕の中が一年中一定の温度であることから、昭和30年頃から地元の方がキノコ栽培に使っていました。その名残も地下壕の中に残されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒294-0033 千葉県館山市宮城192-1
- アクセス
- JR館山駅よりバス約10分「宮城」下車後すぐ
- 営業時間
- 09:00~16:00(毎月第三火曜日は休壕)
- 料金
- 200円
- 地図