矢切の渡し
矢切の渡しは、江戸時代初期に徳川幕府が設けた渡船のひとつです。両岸に田畑を持つ農民たちは耕作のため関所の渡しを通らずに自由に渡船で行き交うことができました。この百姓渡船制度が矢切の渡しの起源であるといわれています。
矢切の渡し
矢切の渡しは「金町・松戸の渡し」と呼ばれ千葉県松戸市矢切と東京都葛飾区柴又を結んでいる唯一現存する江戸川の農民渡船です。徳川幕府が設けた利根川水系河川15ヶ所の渡し場のうちのひとつで、小説「野菊の墓」や歌謡曲「矢切の渡し」の舞台になっています。
矢切の渡しの歴史は天正18年(1590年)の徳川家康の江戸城入城にさかのぼります。氾濫・洪水を繰り返す江戸川は江戸城の堀としての役割もあり、防衛の観点から川に橋が架けられることはありませんでした。
細川たかしの文字が刻まれます
昔の風情そのままな感じです
元和2年(1616年)に松戸は関東でわずか16か所しかない定船場の一つとされました。江戸川をはさんだ金町村(葛飾区)側には、人と荷物を改める金町松戸関所ができています。幕府の第一の目的は「入り鉄砲に出女」といい、江戸に武器が持ち込まれることと江戸から大名家の女性が無断で出ることを取り締まることで、庶民の通行には身元を証明する往来手形が必要でした。
当時は江戸への通行規制が非常に厳しく、関所破りは「はりつけの刑」になるほどでした。しかし両岸に田畑を持つ農民たちは耕作しなければならないため、徳川幕府から自由に渡船で行き交うことが認められていました。この百姓渡船制度が矢切の渡しの起源であると言われています。
今では原動機付きボートです
たくさんの方々が乗り込みます
明治時代になると関所が撤廃され鉄道や幹線道路などの橋が開設されたため、全国の渡船が廃止になりました。隅田川には戦後まで渡船が運航していましたが、現在は東京近郊で定期運航をしている渡船は矢切の渡しだけです。
矢切の渡しがある松戸市と葛飾区柴又周辺には気軽に足を運べる観光スポットが点在しています。矢切の渡しに乗って川を渡って野菊の墓の舞台になったといわれる西蓮寺や柴又帝釈天など周辺スポットに立ち寄るのもオススメです。柴又帝釈天界隈と矢切の渡しは日本の音風景百選に認定されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 千葉県松戸市下矢切
- アクセス
- JR松戸駅西口からバスで「下矢切」下車、北総鉄道の矢切駅から徒歩30分
- 営業時間
- 10:00~16:00
- 料金
- 200円
- 地図