成田山新勝寺

成田山新勝寺は、成田のお不動様として歌舞伎の成田屋・市川團十郎、海老蔵など多くの人々が江戸の昔から参詣する霊場で真言宗智山派の大本山です。江戸時代に出開帳を行い、江戸の人々の間で人気となり、現在の知名度の高さに繋がっています。
本尊の不動明王は平安時代に嶬峨天皇の勅願により弘法大師が一刀三礼、敬慮な祈りを込めて彫り開眼しました。朝夕に天下泰平・五穀豊穣・万民豊楽の護摩法を修せられた霊験あらたかなご尊像です。
成田山新勝寺の歴史
平安時代中期、東国で平将門の乱が起こりました。朱雀天皇は将門調伏の祈願を大寺社や密教僧に命じ、のちに成田山を開山する寛朝大僧正も密勅を受け京の高雄山(神護寺)護摩堂に安置されていた空海作の不動明王像を奉じて下総国(現千葉県)へ下りました。
天慶3年(940年)に寛朝大僧正が朝敵調伏の不動護摩供を奉修しすると将門は戦死します。戦死は寒の戻りの風に乗った一本の流れ矢が将門の額に命中したと伝えられ、朱雀天皇は不動明王の霊験と歓喜しました。
寛朝大僧正が帰京しようとしても不動明王像が動こうとしなかったため、公津ヶ原にて東国鎮護の霊場を拓くべきとの考えのもと、神護新勝寺の寺号を下賜して成田山が開山することになります。
戦国時代に荒廃しますが、江戸時代に入って世情が落ち着くと伽藍が再建・整備され、江戸に近いことから参詣者が増えていきました。また、江戸で成田不動の出開帳が度々行われ、江戸時代を通じて12回の出開帳が行われた記録があります。
- 弘仁元年(810年)
- 空海(弘法大師)が嵯峨天皇の勅願により木造不動明王坐像を敬刻・開眼
- 天慶2年(939年)
- 寛朝が朱雀天皇より平将門の乱平定のための将門調伏祈願を旨とする密勅を賜る
- 天慶3年(940年)
- 寛朝が下総国公津ヶ原にて将門調伏祈願の不動護摩供を奉修。
神護新勝寺の寺号が下賜され、不動明王(木造不動明王坐像)を本尊とする東国鎮護の霊場として開山 - 康平6年(1063年)
- 源頼義、当寺の本堂を再建
- 応永15年(1408年)
- 成田(成田郷)という地名が初めて表現される
- 永禄9年(1566年)頃
- 現所在地に近い不動塚界隈に新勝寺が遷座し本尊も遷する
- 戦国時代
- 長きに亘る戦世にて荒廃
- 明暦元年(1655年)
- 本堂(現・薬師堂)の建立
- 延宝2年(1674年)
- 徳川光圀が江戸藩邸への帰路、成田村の新勝寺に参詣
- 元禄14年(1701年)
- 本堂(現・光明堂)の建立
- 元禄16年(1703年)
- 江戸永代寺八幡宮にて初めての出開帳を行う
- 正徳2年(1712年)
- 三重塔の建立
- 享保7年(1722年)
- 一切経堂の建立
- 安政5年(1858年)
- 本堂(現・釈迦堂)の建立
- 文久元年(1861年)
- 額堂の建立
- 昭和21年(1946年)
- 大本山へ昇格
- 昭和39年(1964年)
- 本尊の木造不動明王及二童子像が国の重要文化財に指定される
- 昭和43年(1968年)
- 本堂「大本堂」の建立
- 昭和59年(1984年)
- 平和大塔の建立
成田山新勝寺の建物
総門は、開基1070年の記念事業により平成19年(2008年)に建立されました。高さ15メートルの総欅造りで欄間にあたる部分には十二支の木彫刻が施されています。また、楼上には八体の生まれ歳守り本尊が奉安されています。
仁王門は、天保2年(1831年)に再建された国指定重要文化財です。門の左右に密迹金剛、那羅延金剛の二尊が奉安され、昔から成田山の門を守ってきました。また裏仏として広目天、多聞天の二天が奉安されています。中央の「魚がし」の文字が大きく目立つ大提灯は魚河岸講の奉納によるものです。
平成19年(2008年)に建立された高さ15mの総欅造の門
天保2年(1831年)に再建された国指定重要文化財です
大本堂は、昭和43年(1968年)に建立された最も重要な御護摩祈祷を行う中心道場です。堂内の御本尊不動明王は、向かって右に矜羯羅童子、左に制咤迦童子を従えています。また、四大明王や平成大曼荼羅などが奉安されています。
三重塔は、正徳2年(1712年)に建立された重要文化財です。総高は25メートルで塔内には大日如来を中心に五智如来が奉安され、周囲には「十六羅漢」の彫刻がめぐらされています。雲水紋の彫刻がほどこされた各層の垂木は一枚板で作られた珍しいもので一枚垂木と呼ばれています。
昭和43年(1968年)に建立された中心道場
正徳2年(1712年)に建立された重要文化財です
聖徳太子堂は、平成4年(1992年)に日本の仏教興隆の祖である聖徳太子の理念にもとづき、世界平和を願って建てられました。堂内には、大山忠作画伯の壁画が6面に渡り描かれてあり、聖徳太子像が奉安されています。平成19年(2007年)に修復されています。
一切経堂は、享保7年(1722年)に建立されました。堂内の輪蔵には一切経が納められています。入口の額は松平定信公の筆によるものです。
日本の仏教興隆の祖である聖徳太子のお堂
堂内の輪蔵には一切経(約2,000冊)が納められています
釈迦堂は、安政5年(1858年)に建立された重要文化財です。かつての本堂であり、大本堂の建立にあたって昭和39年(1964年)に現在の場所に移されました。仏教を開いた釈迦如来や、普賢、文殊、弥勒、千手観音の四菩薩が奉安されています。周囲には、五百羅漢や二十四孝の彫刻がほどこされ、江戸時代後期の特色をよく残している総欅づくりの御堂です。
額堂は、文久元年(1861年)に建立された重要文化財です。奉納された額や絵馬などをかける建物で、江戸時代に奉納された貴重な絵馬や様々なモチーフの彫刻があります。また、七代目市川團十郎が寄進された石像があります。
かつての本堂でした
奉納された額や絵馬などが展示されます
光明堂は、元禄14年(1701年)に建立された重要文化財です。釈迦堂の前の本堂であり、江戸時代中期の貴重な建物です。大日如来、愛染明王、不動明王が奉安されています。後方には奥之院の洞窟があり、毎年、祇園会に開扉されます。
平和の大塔は、昭和59年(1984年)に建立された真言密教の教えを象徴する塔です。総高は58メートルで、1階は大塔入口、成田山の歴史展、写経道場各種受付があります。2階の明王殿には、大塔の御本尊不動明王、四大明王、昭和大曼荼羅、真言祖師行状図が奉安され、3・4階の経・法蔵殿には、ご信徒による掛仏、5階の金剛殿には五智如来が奉安されています。
元禄14年(1701年)に建立された重要文化財です
昭和59年(1984年)に建立された真言密教の教えを象徴する塔です
醫王殿(いおうでん)は、平成29年(2017年)に開基1080年祭記念事業として建立しました。木造総檜、一重宝形造の御堂には薬師瑠璃光如来、日光菩薩、月光菩薩、十二神将が奉安されています。
薬師堂は、江戸時代初期の明暦元年(1655年)に建立された旧本堂です。徳川光圀公や初代團十郎が参詣した成田山現存最古のお堂です。
平成29年(2017年)に開基1080年祭記念事業として建立しました
明暦元年(1655年)に建立された旧本堂で成田山で現存する最古のお堂です
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒286-0023 千葉県成田市成田 1番地
- アクセス
- JR成田駅、京成成田駅より徒歩15分
- 営業時間
- 06:00~16:00
- 料金
- 特になし
- 地図