石堂寺
石堂寺の創建は確たるものはありませんが、和銅元年(708年)や神亀3年(726年)に創建されと云われている寺院で安房国札三十四観音霊場の第二十番札所になっています。文明19年(1487年)に夜盗による火災に遭い、当地の豪族丸氏や里見氏によって永正10年(1513年)に堂宇を現在地に移して再興されました。また戦国期末には小弓公方・足利義明の子や孫を養育した寺院でもあります。
石堂寺
石堂寺は南房総市石堂にある天台宗の寺院で、和銅元年(708年)に奈良の僧恵命・東照が秘宝アショカの王塔を護持してこの地を訪れ、草庵を結んでこれを祀ったのが始めと伝えられ、また、神亀3年(726年)に行基菩薩がこの地を訪れて大塚山に堂宇を建立し十一面観世音菩薩を刻んで本尊としたとの謂れがありますが、確たるものはありません。
仁寿元年(851年)には慈覚大師が荒廃した寺院を見て嘆き、十一面観世音、脇侍の持国・広目二天、千手観音、薬師如来の各像を彫刻し、堂宇を造営して「天下泰平・百姓豊楽」の護摩祈祷を行い、天台宗比叡山延暦寺の末寺になったと云われています。
創建当時は水晶でつくられた宝塔があり石塔寺と言われており、日本三石塔寺の一つに数えられていました。室町時代末期に足利頼氏を養育した縁に因み頼氏の幼名・石堂丸の名をもらい受け、石堂寺と改称しています。
石堂寺の境内
石堂寺の境内にはたくさんの文化財が並びます。本堂は永正10年(1513年)に建立された唐様・寄棟造で桁行3間、梁間4間の県下最大の国指定木造建築です。本尊の十一面観世音菩薩立像・厨子ともに国指定文化財で堂内諸像は平安末期の仏像です。
室町時代に建立した国指定文化財です
室町時代に建立した国指定文化財です
多宝塔は天文14年(1545年)に建立されました。内部には県指定文化財である慶派仏の千手観音が祀られています。様式は上層唐様の折衷様式で江戸時代以前の多宝塔は関東に少ないため貴重な宝塔で国の重要文化財に指定されています。
薬師堂は天正3年(1575年)に建立され、茅葺の仏堂で安土桃山様式の建物です。国の重要文化財に指定されている建物は、釿(ちょうな)削りの床が残されており薬師如来と毘沙門天が祀られています。
室町時代に建立した国指定文化財です
江戸時代に建立した市指定文化財です
鐘楼堂は江戸時代の天明3年(1783年)に建立している南房総市指定文化財です。市指定有形文化財である鐘は元弘元年(1331年)の物です。その隣にある山王堂は桃山時代に建立した千葉県指定文化財で日吉山王を祀ります。4本の柱で造られている三間社流れ造りです。
室町時代に建立した県指定文化財です
江戸時代に建立した市指定文化財です
青銅で造られている宝篋印塔は、天保13年(1841年)に石神村の冶工鈴木伝左衛門正尹により鋳造された宝塔で南房総市の文化財に指定されています。
旧尾形家住宅と花観音
石堂寺の駐車場には梅林が広がり、その奥に旧尾形家住宅と花観音があります。旧尾形家住宅は享保13年(1728年)の江戸時代中期の建築で居間と土間を別棟にした南方系の特色をもつ分棟型の代表的な民家です。尾形家は珠師ヶ谷村(旧丸山町)の旧家で、本堂裏の空地に改修移築されました。
江戸時代の代表的な家屋です
梅林の中に安置されています
旧尾形家住宅の隣で梅林の中は花観音が安置されています。この花観音は関東東三十三観音のひとつに選ばれているようです。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒299-2503 千葉県南房総市石堂302
- アクセス
- JR南三原駅からタクシーで10分
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 無料
- 地図