まいぷら

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九段

東京都千代田区の旅行で訪れた観光名所、靖国神社

皇居北部にあたる九段は、江戸時代に幕府御用の九段屋敷から九段坂と名付けらえたことに由来します。江戸時代には大名の武家屋敷が建ち並び、明治時代に段差を廃して坂道になるとともに皇族や華族の屋敷が設けられ、坂上に東京招魂社(靖国神社)が創建され東京の祝祭空間として繁栄しました。

江戸時代の九段

江戸城北側は、日本橋川から田安台に続く九段の段差に幕府御用屋敷の長屋(九段屋敷)が並んでいたことから九段坂と名付けられ、のちに地名も九段となりました。江戸時代には大名屋敷が並びました。南総里見八犬伝の作者である滝沢馬琴は、寛政5年(1793年)に九段下で履物商を営んでいた合田家に婿入りてから、文政7年(1824年)に息子の宗伯の住まいである神田明神下同朋町に移るまで住み続け執筆活動を行いました。邸内の井戸は大正12年(1923年)の関東大震災で失われましたが、滝沢馬琴が硯に水を注いで筆を洗ったため硯の井戸と呼ばれています。

滝沢馬琴硯の井戸跡

東京都千代田区の滝沢馬琴硯の井戸跡滝沢馬琴の邸宅にあった井戸跡です

蕃書調所跡

東京都千代田区の蕃書調所跡江戸時代に洋書を解読する組織がありました

蕃書調所跡は、安政3年(1856年)に江戸幕府により西洋の書籍を解読し海外事情を調査するための組織として設立されました。幕臣や諸藩の家臣に対して英語や西洋文学を教育する機能も加わり幕府官立学校として位置づけられました。のちに洋書調所から開成所に改称し幕府崩壊に伴い閉鎖されますが、明治政府による開成学校として生まれ変わり、医学校と統合されて東京大学の前身になりました。

靖国神社

九段坂の上には靖国神社とその燈籠があります。明治4年(1871年)に建造された高燈籠(常燈籠)は英霊の魂を招く目印のために設けられたものです。また高燈籠の光は東京湾まで見えており東京湾を航行する船舶の目印にもなっていました。

高燈籠(常燈籠)

東京都千代田区の靖国神社高燈籠(常燈籠)昭和5年(1930年)に現在の位置に移転しました

靖国神社大鳥居

東京都千代田区の靖国神社大鳥居九段坂の上にある靖国神社の表参道入口にあります

靖国神社は、慶応4年(1868年)から戊辰戦争や明治維新に係る戦没者を慰霊、顕彰する動きが活発になり、維新の三傑である木戸孝之が大村益次郎に相談して招魂場を造ることに同意し、明治天皇の勅令によって明治2年(1869年)に創建しました。国家のために殉難した英霊を祀り坂本龍馬や高杉晋作、吉田松陰などの人物のほか、太平洋戦争のA級戦犯も含まれるため終戦記念日の参拝は国内外を賑わしています。

靖国神社

東京都千代田区の靖国神社国に命を捧げた英霊が祀られます

大村益次郎像

東京都千代田区の靖国神社の大村益次郎像幕末の天才軍事戦略家です

靖国神社の大鳥居を抜けてイチョウ並木が続く広い参道に大村益次郎像があります。天才軍事戦略家の大村益次郎は靖国神社の創建に際して、国家のために命を捧げた英霊のために靖国神社に桜を植えることを提案しています。

昭和館

九段坂の麓で地下鉄九段下駅の近くにある昭和館は、国民が経験した戦中、戦後の国民生活上の労苦を後世代の人々に伝えていくことを目的として平成11年(1999年)に設立された国立博物館です。実物資料の常設展示のほか特別企画展や図書・映像・音響資料の閲覧事業を実施しています。

昭和館

東京都千代田区の昭和館残念ながら館内は撮影禁止です

屋外展示

東京都千代田区の昭和館の特別展示屋外には写真展示がありました

太平洋戦争までの生活から始まり、戦時中の生活と終戦後の生活の展示があり、高い生活水準から切り詰めた生活になり焼け野原から這い上がる姿が展示されます。百年にも満たない出来事は今の裕福な時代には考えられず、先人たちの強さを感じることができます。

まち旅(旅行、観光)の記録

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まち旅(旅行、観光)の記録
住所
東京都千代田区九段北
アクセス
市ヶ谷駅又は九段下駅から徒歩10分
営業時間
24時間
料金
無料
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