銀座
日本の文化、経済の中心地とした発展した銀座は、江戸時代に流通した銀貨製造などを独占的に請け負う組合が地名として定着しました。明治時代には銀座大火で焼失しますがレンガ街や日本初の電灯ができるなど変貌を遂げました。その後も天災や戦災により焦土となりますが、その都度発展を遂げ日本一地価の高い地域になりました。
銀座の由来
慶長8年(1603年)に江戸に幕府を開いた徳川家康は、日比谷入江の埋立て現在の銀座を含む中央区にあたる地域を整備しました。慶長17年(1612年)には銀の買入、保管、鋳造を行う銀座を駿府から江戸に移しました。これが由来となり銀座の地名が付けられています。銀座では銀貨を隠し持たないように裸で作業し、帰宅時にはおしりに銀貨を隠さないよう竹を跨いで通るなど不正対策が敷かれていました。
銀貨を鋳造する事業所がありました
銀座は人形町に移転されて明治時代を迎えます
寛政12年(1800年)に銀貨に混ぜ物を混入する事件が起こり、銀座が蛎殻町に移転して蛎殻銀座となりました。しかし銀座の役人は儲けた金で現在の銀座の土地を幕府から購入し、銀座通りと同じ区画で賑やかな商店街を造りました。こうして銀座の地名だけが現在地に残ることになりました。
歌舞伎と銀座の発展
寛永元年(1624年)に猿若勘三郎が中橋(京橋と日本橋の中間)に中村座を開設して歌舞伎狂言を上演しました。これが江戸歌舞伎の最初で、これから歌舞伎は庶民の最大の娯楽として隆盛を極めます。寛文2年(1662年)には中村座の近くに隅田川の水運の便を利用して多くの野菜を入荷・販売する青物市場が開設しており、中でも大根の販売が多いため大根河岸市場と呼ばれるようになりました。
京橋と日本橋の中間にあります
明治22年(1889年)に開業して現在も続いています
庶民の娯楽として、明治22年(1889年)には歌舞伎座が開業しました。焼失と修復のほか時代に合わせて改築・改装を経て現在の第5期歌舞伎座が完成しています。1階桟敷席から3階席まで多様な席種があるほか4階には一幕見席があり好きな幕だけを気軽に鑑賞できるようになっています。
度重なる災害と進化
明治維新を迎えると明治5年(1872年)に銀座大火が発生しました。火災は銀座一帯と築地を焼土とし、耐火性のある建物の必要性が教訓となりました。銀座には欧米のような煉瓦造りの町並みを出現させ、明治15年(1882年)にはガス灯から日本最初の電灯柱が銀座に建てられました。
煉瓦街とガス灯の近代的な町並みでした
初代時計塔(1894年)の二代目として1932年に建造されました
大正12年(1923年)に発生した関東大震災では銀座は大きな被害を受けましたが、震災の翌年には大手百貨店が銀座に進出、大正15年(1925年)には2番目、昭和5年(1930年)には3番目の百貨店が進出してレンガ街からコンクリート製のデパート街が出現しました。
高層ビルがならぶデパート街となりました
週末など歩行者天国となり多くの人で賑わいます
昭和16年(1941年)には東京大空襲で焦土と化し銀座には闇市ができますが、多くの建物がコンクリート製のため早く復興することができました。銀座には昭和45年(1970年)に歩行者天国ができ、銀ブラと呼ばれる高級感ある町歩きができる地域として日本で一番地価の高い地域となりました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 東京都中央区銀座
- アクセス
- 東京メトロ銀座駅から徒歩10分圏内
- 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図