赤坂
東京都港区赤坂は宇和島藩伊達家の上屋敷などの武家屋敷があり、江戸城の赤坂御門が置かれ城門を守る番兵の詰所である赤坂見附が置かれていました。明治時代になると赤坂離宮や陸軍用地などに転用され、陸軍歩兵部隊を指揮していた乃木将軍の邸宅と乃木神社が置かれています。
赤坂氷川神社
天暦5年(951年)に蓮林僧正が一ツ木村に赤坂氷川神社を創建したことが始まりです。赤坂には浅野内匠頭長矩の正室瑤泉院の実家にあたる三次藩浅野家上屋敷がありました。浅野長矩は殿中で吉良上野介を斬りつけた罪で切腹になると瑤泉院は出家して実家へと戻りました。やがて三次藩浅野家は嗣子に恵まれず廃藩となり、この上屋敷も引き払いとなり空き地になりました。
徳川吉宗が老中水野忠之に命じて遷座しました
樹齢400年と言われる港区の天然記念物です
寛永9年(1632年)に赤坂に中屋敷を拝領した紀伊徳川家は、明暦の大火で上屋敷も赤坂に移されました。紀伊藩出身の8代将軍徳川吉宗は、氷川神社を産土神として享保15年(1730年)に現在の三次藩浅野家上屋敷跡地に社殿を造営して赤坂氷川神社を遷座しました。赤坂氷川神社は関東大震災や東京大空襲の被害を受けず、奇跡的に当時の建物が残されています。
迎賓館赤坂離宮
明治42年(1909年)に外国の要人が来日した際に滞在する施設として迎賓館赤坂離宮が建造されました。建築家片山東熊が設計した宮殿は東洋一の宮殿と評される美しい建築物で、昭和49年(1974年)に大規模改修工事が行われて平成28年(2016年)から一般公開されるようになりました。
バッキンガム宮殿のような門です
左右対称の湾曲した構造の宮殿です
赤坂離宮の建築はルーブル美術館やベルサイユ宮殿、バッキンガム宮殿を模範として造られました。左右対称で左右翼部が前面に張り出されながら湾曲しています。古典的な様式を採用し桁違いの予算と最高レベルの技術を駆使した迎賓館は日本洋風建築の最高傑作と言われます。
国宝に指定される唯一の噴水です
光の辺り具合がよく白く輝いて見えます
赤坂離宮主庭は、広い敷地が樹木に囲まれてヨーロッパのような雰囲気があります。主庭から見る赤坂離宮は、昭和49年(1974年)の大改修で建築家村野藤吾が設計したものがほとんどで、国宝に指定される中央の大きな噴水は伝説上の生物グリフォンなどが飾られています。
旧乃木邸
旧乃木邸は、日清・日露戦争の両戦役に従事し、明治天皇崩御の後に殉死された陸軍大将乃木希典の邸宅です。現存する家屋は乃木大将がドイツ留学中に見たフランス連隊本部を参考にして、自らの設計により明治35年(1902年)に新築されたものです。明治期の将官の邸宅は接客を目的として豪華な建物が多いですが、旧乃木邸の外観は黒塗りの板張りで内部も極めて簡素かつ合理的に造られています。
黒塗りの建物です
入口付近に馬小屋があります
入口から乃木邸敷地に入りすぐ右手には馬小屋があります。乃木大将は馬を大変大事に扱っており自宅にも馬小屋を立てていました。乃木将軍は西南戦争で連隊旗を敵に奪われる失態と日露戦争で苦戦したことに責任を感じて明治天皇の崩御に際して殉死しました。
乃木神社
乃木神社は、明治天皇の崩御に際して殉死した乃木将軍夫妻の旧邸を保存し乃木夫妻の御霊を祀るため、当時の東京市長阪谷芳郎が中心となり発足した中央乃木會により大正12年(1923年)に創建されました。昭和20年(1945年)の空襲で社殿などの建物は焼失しましたが、昭和37年(1962年)に社殿が復興しました。
乃木神社の境内です
乃木希典・静子夫妻が祀られています
乃木神社の目の前にある乃木坂は幽霊坂と呼ばれていましたが、大正元年(1912年)に乃木大将の殉死を悼み赤坂区議会が坂の名前を乃木坂に改名しています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 東京都港区赤坂
- アクセス
- 地下鉄千代田線「乃木坂駅」
- 営業時間
- 9:00~16:00
- 料金
- 無料
- 地図