湯島/本郷
日本有数の文教地区としても知られる本郷や湯島地区は、江戸時代に湯島聖堂が設けがられて朱子学を基盤とする幕府の官学を学ぶ昌平坂学問所が設置されたため、日本の学校教育発祥の地とされました。明治時代には本郷に帝国大学(現・東京大学)をはじめ、多くの教育機関が設立されて文人などが居を構えました。
湯島
湯島は古くから湯島天満宮が創建され、講談で高座が設けられるなど江戸庶民の文化の発信地として親しまれました。湯島聖堂が設置されて昌平坂学問所が開設したことで日本の学校教育発祥の地と言われるようになりました。
湯島天満宮
雄略天皇の勅命により雄略天皇2年(458年)に湯島天満宮が創建され、正平10年(1355年)に住民の請願により菅原道真を勧請して合祀されました。文明10年(1478年)に太田道灌が社殿を修復するなど武家からも崇敬を集め、天正19年(1591年)には徳川将軍家から知行地を与えられ、幕府公認の富くじが発行されています。
寛文7年(1667年)頃に設置されました
平成7年(1995年)に本殿が造営されました
江戸時代中期まで街角の辻講釈などで講談が演じられていましたが、講談師の伊東燕晋が文化4年(1807年)に湯島天神宮の境内に高さ三尺の高座を設けて徳川家康の偉業を語りました。これが高座の始まりとされ、江戸庶民の文化の発信地となりました。
湯島聖堂
5代将軍徳川綱吉は、元禄3年(1690年)に儒学者林羅山が上野の私邸に建てていた私塾(弘文館)と孔子廟(先聖殿)を湯島に移築して湯島聖堂とし、寛政9年(1797年)に幕府直轄の昌平坂学問所を開設して朱子学を教えました。
杏壇は孔子の教えを学ぶ場の意味です
幕府直轄の昌平坂学問所となりました
明治時代になると湯島聖堂と昌平坂学問所は新政府が所管するようになり、明治4年(1871年)に廃止されました。大正12年(1923年)に関東大震災で入徳門と水屋を残して全て焼失したため、昭和10年(1935年)に東京帝国大学伊東忠太が設計して再建されました。
本郷
本郷は旧石器時代から人が生活した痕跡が残されます。江戸時代に加賀藩前田家が上屋敷を置いていましたが、明治時代に東京大学が設立されて多くの文人が居を構えました。
弥生二丁目遺跡
本郷地区には旧石器時代から人が住み始めたとされ、縄文時代の遺跡が確認されています。本郷台地東端の弥生町向ヶ丘には弥生時代後期の周濠に囲まれた集落跡が見つかり、集落には貝塚が伴い貝類のほか土器が出土しています。
弥生式土器が発見されました
弥生時代後期の環濠集落跡です
明治17年(1884年)に貝塚から出土した壺型土器は、縄文土器とは異なる特徴があり弥生式土器と名付けられ、その土器が使われた時代は弥生時代と呼ぶようになりました。後続する古墳時代前期にも多くの住居跡が存在していましたが、調査を進めるうちに開発が進んだため不明な点が多いです。
天澤山麟祥院
寛永元年(1624年)に春日局の発願を受けた3代将軍徳川家光が天澤山麟祥院を創建しました。麟祥院は春日局の隠棲所となり、寛永20年(1643年)に春日局が永眠すると春日局の法号から天澤山麟祥院と改称されました。春日局の墓石は遺言により四方及び台石に穴が空いており、春日局の強運と賢徳に加えて墓石に空いた穴が願いが通るとして参詣する人が多くありました。
徳川家光の命により創建しました
穴が開いている墓石で多くの参詣者があります
明治20年(1887年)には井上円了が麟祥院の一棟を借りて、東洋大学の前身となる哲学館を創立したため、東洋大学発祥の地ともなりました。昭和20年(1945年)の東京大空襲により麟祥院は堂宇とともに多くの寺宝が失われ、春日局に関する資料も幾らか焼失しました。
東京大学
本郷には加賀藩前田家上屋敷が置かれ、加賀藩3代藩主前田利常は3代将軍家光と大御所秀忠の訪問に先だち寛永6年(1629年)に豪奢な御成御殿や数寄屋を新築し育徳園心字池(三四郎池)を中心とした庭園を整備しました。文政10年(1827年)には、13代藩主前田斉泰が11代将軍徳川家斉の娘溶姫を正室に迎えるにあたり御守殿門(赤門)を建立しています。
文政10年(1827年)に造られた重要文化財です
寛永6年(1629年)に将軍来訪のため整備されました
明治10年(1877年)に幕府の蕃書調所を前身とする東京開成学校と幕府の医学所を前身とする東京医学校が合併して旧加賀藩上屋敷跡地に移転しました。明治19年(1886年)に帝国大学となり、帝国大学工科大学や帝国大学農科大学を吸収して明治30年(1897年)に東京帝国大学となりました。昭和22年(1947年)に東京大学へ改称しました。
安田講堂前に銀杏並木があります
大正14年(1925年)に完成しました
安田財閥の創始者安田善次郎の寄付により建造された東京大学大講堂(安田講堂)は、昭和43年(1968年)の東大闘争全学共闘会議(全共闘)により数カ月占拠されました。これにより荒廃して大部分が閉鎖されましたが、昭和63年(1988年)に改修工事が行われて卒業式なども行われるようになりました。
- 住所
- 〒113-0034 東京都文京区湯島4-1-8
- アクセス
- 湯島駅、上野広小路駅、御徒町駅から徒歩5分
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 参拝無料
- 地図