旧岩崎邸庭園
旧岩崎邸庭園は三菱財閥3代当主・岩崎久彌の邸宅で明治29年(1896年)に建造されました。洋館、和館、撞球室の3棟が現存しており日本現代建築を知るうえで重要な建物として屋敷全体と実測図が国の重要文化財に指定されています。
旧岩崎邸
旧岩崎邸庭園は、明治29年(1896年)に建造された三菱財閥3代当主・岩崎久彌の邸宅です。越後高田藩榊原家の中屋敷が明治時代初期に旧舞鶴藩主・牧野弼成の邸宅になり、明治11年(1878年)に三菱財閥初代・岩崎弥太郎が土地を購入しました。
岩崎久彌は明治26年(1893年)に三菱社長に就任し大正5年(1916年)に社長を退任するまで鉱山炭鉱事業の発展、長崎造船所の近代化、東京丸の内地区の開発、麒麟麦酒、製紙業の操業など様々な事業を手掛け三菱を大企業に発展させました。
観光案内板より
袖塀には家紋の菱形が模されています
完成当時は1万5千坪の敷地に20棟もの建造物がありましたが、戦後に国の所有物になり庭の縮小や建物の取り壊しが行われました。現存する建物は洋館、和館、撞球室の3棟のみとなりましたが、日本近代建築を知るうえで貴重な資料として煉瓦塀、袖塀を含めた屋敷全体が国の重要文化財に指定されています。
旧岩崎邸洋館
旧岩崎邸庭園の設計は鹿鳴館を設計した英国人ジョサイア・コンドル(1852~1920)が手掛けました。地下室つき木造二階建て洋館は木材がふんだんに使われ、明治時代の上層階級の邸宅として日本の木造建築に影響を与えました。
正面は玄関が取り付けられています
裏面の二階にはバルコニーがあります
洋館は主に来客をもてなすために使われました。2階にある客室はヨーロッパで革を使って作られた金唐革を和紙で再現した金唐革紙が使用され煌びやかな空間になります。客室にはベランダがあり庭園が一望できるようになっています。
旧岩崎邸和館
洋館と結合された和館は完成当時550坪の敷地があり洋館をしのぐ規模を誇りました。書院造を基調とした和館は名棟梁・大河喜十郎が手掛け、当時の純和風建築を垣間見ることができます。和室の欄間や襖に岩崎家の家紋である菱形の紋章があしらわれています。
洋館に連結する大きな和館です
部屋から和の庭が見える配置です
和館は生活の場として利用されていました。1階の洋館から入ると畳敷きになり通路からは日本庭園が見えます。建築当時は14部屋ありましたが現在は大広間を中心とした3部屋のみが現存しています。今では貴重な木材がふんだんに使われています。
撞球室(ビリヤード場)
洋館の隣にある撞球室(ビリヤード場)もコンドルが設計しました。撞球室はスイスの山小屋風の造りで校倉造りの外壁で木造ゴシックの造りになり素朴さがあります。
山小屋風の建物です
娯楽場の割に広くて快適です
洋館と撞球室は地下通路でつながり雨天時などでも地下から出入りできるようになっています。
旧岩崎邸庭園
岩崎邸と撞球室に囲まれたところに庭園が造られています。建造当初は建物が並び庭園が整備されていましたが、建物は壊され敷地面積も3分の1の広さになったため、現在は広場のようになっており、片隅に庭園が残されています。
庭園と言うより広場になります
庭園の片隅に石燈籠があります
明治期の建造物が戦災などで焼けずに残されていたのは大変貴重なもので昭和36年(1961年)に明治時代の代表的洋館建築として国の重要文化財に指定され、現在は都立公園として一般に公開されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒110-0008 東京都台東区池之端1-3-45
- アクセス
- 東京メトロ「湯島駅」から徒歩3分、上野広小路駅から徒歩10分
都営地下鉄上野御徒町駅から徒歩で10分
JR線御徒町駅から徒歩で15分 - 営業時間
- 9:00~17:00
- 料金
- 400円
- 地図