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横山大観旧宅及び庭園

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観旧宅及び庭園

横山大観旧宅及び庭園は、明治から昭和にかけて活躍した近代日本画家の巨匠である横山大観が最後の住処としたところです。横山大観旧宅と庭園は記念館として一般公開され、平成29年(2017年)に国の史跡及び名勝に指定されました。

横山大観

横山大観は、明治元年(1868年)に水戸藩士・酒井捨彦の長男秀麿として生まれました。明治21年(1888年)に母方の縁戚である横山家に養子になりました。東京府中学校(現日比谷高校)を優秀な成績で卒業し、明治21年(1888年)に東京美術学校(現東京芸術大学)を受験し一期生となります。東京美術学校では下村観山、西郷孤月などと同期で岡倉天心などに学びました。

横山大観

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観明治から昭和にかけて活躍した画家です

画材

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観旧宅二階で多くの作品を生み出しました

東京美術学校卒業後は東京美術学校助教授になりますが、岡倉天心とともに辞職し日本美術院創立に参画します。保守的風潮の強い国内での活動が行き詰まると、海外各地で展覧会を開き大盛況となります。大観は、大正2年(1913年)に活動が途絶えていた日本美術院を再興し日本画壇の重鎮としての地位を築き、明治42年(1909年)より上野池之端に居を構えて精力的に作画に取り組みました。

日用品

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観愛用した日用品が展示されています

霊峰飛鶴

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観大観85歳の作品で最高傑作の富士山と言われます

横山大観は日本画の革新をもたらした功績により昭和12年(1937年)には第一回文化勲章を受章しましたが、昭和33年(1958年)に89歳で永眠しました。なお、大観の脳はアルコール漬けされた状態で東京大学医学部に保存されています。横山大観の座右の銘は「一切の藝術は無窮を趁ふの姿に他ならず世界最高の情趣を顕現するにあり」でした。

横山大観旧宅

横山大観旧宅は、東京・上野池之端に建築された京風数寄屋造りの自宅兼画室です。明治42年(1909年)に住み始め、大正8年(1919年)に現在の広さになりました。横山大観は建築士を目指していたため、邸宅や庭園は自身でデザインしています。昭和20年(1945年)の東京大空襲で焼失しますが、昭和29年(1954年)にかつてと同じように再建されました。

横山大観旧宅

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観旧宅昭和29年(1954年)に再建されました

横山大観旧宅

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観旧宅たくさんの窓から自然光を取り込みます

横山大観旧宅は客間、居間、アトリエなどを展示スペースとして公開しています。木造2階建で1階部分には客間の鉦鼓洞などがあり、2階は画室で窓が多く設けられており、建物の構造や内装のデザインは大観の画家ならではの工夫が凝らされています。

横山大観旧宅庭園

旧宅にある庭園は、中央部に細長く折れ曲がる池泉が設けられています。建物から見て右奥には築山が築かれ、その前には細川護立侯爵から贈られた庭石が据えられます。客間として用いられた鉦皷洞には広々としたガラス窓が張られ、広大な庭園を借景として一幅の絵画の様を観覧できます。

横山大観旧宅庭園

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観旧宅庭園庭園内を散策することはできません

横山大観旧宅庭園

東京都台東区の旅行で訪れた観光名所、横山大観旧宅庭園細川護立侯爵から贈られた庭石が据えられます

横山大観旧宅と庭園は昭和51年(1976年)に一般公開されました。写真撮影できるところが限られ庭園を散策することもできませんが、旧宅室内から窓越しに平成29年(2017年)に国の史跡及び名勝に指定された庭園を眺めることができます。

まち旅(旅行、観光)の記録

まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。

まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒110-0008 東京都台東区池之端1丁目4−24
アクセス
JR上野駅及び御徒町駅から徒歩で10分
営業時間
10:00~16:00
料金
200円
地図