門前仲町と寺社群
門前仲町は江戸時代から富岡八幡宮や深川不動堂など由緒ある寺院が並ぶ門前町として発展しました。富岡八幡宮は深川の八幡様の名で親しまれる江戸最大の八幡宮で大相撲の前身である勧進相撲が初めて行われました。深川不動堂は成田山新勝寺の東京別院で江戸で初めて出開帳が行われ深川のお不動様で親しまれました。
富岡八幡宮
富岡八幡宮は菅原道真の末裔といわれる長盛法印の神託を受けて、当時永代島と呼ばれていた砂州一帯を埋め立てて約6万坪の敷地に八幡大神を祀る永代嶋八幡宮として寛永4年(1627年)に創建されました。八幡大神を尊崇した徳川将軍家の保護を受け発展しました。江戸の行楽地として庶民からも深川の八幡様として親しまれたことから江戸最大の八幡様と呼ばれるようになりました。
空襲で焼失して昭和31年(1956年)に造営されました
日本の正確な地図を作る測量に出かけました
日本で初めて正確な地図を作った近代日本地図の始祖である伊能忠敬は50歳で富岡八幡宮近くの深川黒江町(現門前仲町1丁目)に隠宅を構えており寛政2年(1790年)の早朝に富岡八幡宮に参拝して蝦夷地(北海道)測量に出かけました。それから全国の測量に出発するときは必ず内弟子と従者を率いて富岡八幡宮に参詣して無事を祈念しています。
富岡八幡宮は貞享元年(1684年)に初めて寺社奉行の許しを得て勧進相撲が行われました。勧進相撲とは寺社仏閣の修繕費用を募るために開かれた相撲で、富岡八幡宮は大相撲の前身である江戸勧進相撲の発祥の地として知られます。現在でも新横綱が誕生すると境内で奉納の土俵入りなどの式典が執り行われ、歴代横綱の名を刻した横綱力士碑があります。
大相撲の前身の勧進相撲が開かれました
江戸三大祭りで使われた日本一絢爛豪華な黄金神輿です
富岡八幡宮の深川八幡祭りは江戸三大祭りのひとつに数えられる勇壮な水かけ祭りです。この祭りで使われる神輿は豪商紀伊国屋文左衛門が奉納した3基の神輿がありましたが、関東大震災で焼失し昭和5年(1930年)に鳳凰の飾りがついた神輿である御鳳輦が製作されました。平成3年(1991年)に日本一の黄金神輿と言われる黄金にダイヤやルビーが散りばめられた一ノ宮神輿、平成9年(1997年)に二ノ宮神輿が製作されています。
深川不動堂
深川不動堂は千葉県成田市にある大本山成田山新勝寺の東京別院で古くから深川のお不動様で親しまれてきました。江戸時代初めに市川團十郎が不動明王の歌舞伎芝居をしたことから不動明王が人気となり、元禄16年(1703年)に富岡八幡宮の別当寺である永代寺で新勝寺の秘仏などを披露する第1回目の出開帳が行われたことが深川不動堂の始まりです。出開帳は江戸で行われた12回のうち11回が永代寺で行われています。
裏の入口になります
昭和25年に復建された旧本堂です
明治元年(1868年)に神仏分離令とそれにもとづく廃仏運動が起こりますが信徒講社は深川移転を主張し旧来しばしば出開帳を行った特縁の地である現在地に遷座されることとなり深川不動堂の名のもと明治14年(1881年)に堂宇が完成しました。大正12年の関東大震災や昭和20年(1945年)の東京大空襲で2度焼失しますが、その都度再建され平成23年に建造された本堂の外壁には不動明王の真言の梵字が取り付けられています。
壁に梵字がびっしりある新しい本堂です
表参道にあたる道に名前が付けられています
深川不動堂の参道は人情深川ご利益通りと言う名前が付けられており毎月1日、15日、28日に縁日が開かれます。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒135-0047 東京都江東区富岡1丁目17−13
- アクセス
- 都営大江戸線・東京メトロ東西線「門前仲町」駅下車 徒歩5分
- 営業時間
- 08:00~16:00
- 料金
- 拝観無料
- 地図