ヱビスビール記念館
エビスビール記念館は平成6年(1994年)に恵比寿ガーデンプレイスとともに開館しました。開館当初は恵比寿麦酒記念館としてビール全体の歴史や製造方法などを紹介していましたが、ヱビスビールが製造されて120年の節目である平成22年(2010年)にヱビスビール記念館としてエビスビールを知ってもらうためにリニューアルされました。
東洋のビール王・馬越恭平とエビスビール
明治20年(1887年)に東京や横浜の中小資本家が集まり日本麦酒醸造会社が設立されると、三井財閥からの資金援助を受けビールの本場ドイツからビール醸造に必要な設備を取り入れます。明治22年(1889年)に東京都目黒区にビール醸造工場が建設され、翌年の明治23年(1890年)にヱビスビールが発売されました。ヱビスビールは83銘柄のビールが出品された内国勧業博覧会で最良好の評価を得る品質でした。
かつてのビール工場ジオラマの展示です
大正3年にドイツから輸入された通気塔のフードです
品質の良いビールができましたが、当時の日本人はビールに慣れてないため経営面は赤字でした。そこで三井財閥は三井物産の横浜支店長であった馬越恭平を社長として経営の再建に乗り出します。馬越恭平はわずか1年で日本麦酒醸造会社を黒字化し明治32年(1899年)に日本で初めて恵比寿ビアホールを開業しました。
経営面で軌道に乗った日本麦酒醸造会社は、明治26年(1893年)に日本麦酒株式会社に変更しますが、明治33年(1900年)のパリ万博で金賞を獲得し4年後のセントルイス万博ではグランプリを獲得して世界から品質が認められました。
東洋のビール王と呼ばれた人物です
大日本麦酒株式会社醸造の文字があります
明治34年(1901年)に課税対象になると明治36年(1903年)には札幌ビールが東京に工場を設けて競争が激しくなります。そこで馬越恭平は札幌ビールの渋沢栄一と大倉喜八郎、大阪ビールの鳥井駒吉と会談し、明治39年(1906年)に合併して大日本麦酒株式会社が設立され馬越恭平が社長となりました。大日本麦酒株式会社は中国王手の青島ビールを買収しアジア諸国に販売網を展開しました。
太平洋戦争の影響で昭和15年(1940年)にビールが配給制となります。戦局が悪化していくと商標は廃止されヱビスビールは姿を消しました。戦後、大日本麦酒株式会社は財閥解体の対象となり朝日麦酒と日本麦酒に分離されました。ヱビスビールを継承している日本麦酒は長い間ヱビスビールを販売しませんでしたが、社内からの待望もあり昭和46年(1971年)に麦芽100%のプレミアムビールとして28年の時を経て復活しました。
エビスビール記念館
エビスビール記念館はエビスビールを知ってもらうために、平成22年(2010年)にリニューアルオープンしました。展示を個人的に見ることもできますが、エビスツアーに参加して解説を聞きながら見学するとより深くエビスビールのことを知ることができます。
記念館の入口になります
1987年まで実際に使用されていました
恵比寿の地名ともなった120年の歴史があるギャラリーではエビスビールの誕生から今に至るまでを貴重な資料や映像で紹介されています。展示スペースは広くはありませんが、明治時代に発売されたビール瓶や創業当初のビール工場の写真などは必見です。
明治時代に販売されていた頃のビール瓶です
テイスティングサロンでは各種エビスビールを飲めます
有料のテイスティングサロンでは各種エビスビールがリーズナブルに飲めるため、ビール好きなら楽しめるスポットです。ビールのほかビールに合うおつまみも用意されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 東京都渋谷区恵比寿
- アクセス
- JR恵比寿駅から徒歩10分くらい?
- 営業時間
- 11時~19時(毎週月曜日と年末年始が休館)
- 料金
- 無料
- 地図