池袋/大塚
池袋は新宿、新宿と並ぶ三大副都心の一つで、新宿、渋谷に次いで一日の利用客数が世界第3位の池袋駅を中心に発展した繁華街です。現在は豊島区が進める国際アート・カルチャー都市実現に向けて発展を続けています。池袋の隣に位置する大塚は明治時代から都内で唯一路面電車(都電荒川線・東京さくらトラム)が運行しています。
池袋
池袋は池袋西口付近にあった丸池が名前の由来とされています。明治時代まで農村が広がるのどかな地域でしたが、明治時代後期の1903年に池袋駅が開業し現在では4社8路線が乗り入れる巨大ターミナルとして発展しました。明治時代後半から大正時代にかけて立教大学や東京府豊島師範学校が設立するなど文教地区となりましたが、太平洋戦争の空襲で一面が焼け野原になると埼玉から持ち寄られた野菜を売る闇市が開かれ現在のような商業地区へと発展していきました。また、巣鴨拘置所が移転した跡地にはサンシャインシティが整備され、建造当時に東洋一の高さ240メートルのサンシャイン60が建造されました。
サンシャイン60からの眺めです
東京拘置所があり死刑が執行されました
巣鴨拘置所は、巣鴨監獄が関東大震災を機に府中に移転したのち敷地の一角にあった市谷監獄が東京拘置所と名前を変えて移転したもので、GHQに接収されてから巣鴨プリズンと改められました。B級C級の戦犯52名と東条英機ら7名のA級戦犯の死刑が執行されました。
大塚
池袋の東側に位置する大塚は、古墳又はやぐら台の跡といわれる高台を大塚と呼んでいたことが名前の由来です。JR大塚駅はかつて谷端川の川底で周囲に谷端川の土手や段丘の名残りで小高くなります。この周囲は明治時代まで人家も少ない寂しい農村地帯でした。
谷端川の川底でした
農業と酪農が盛んな田園地帯でした
明治時代に文明開化が起こり、それまでほとんど飲まれなかった牛乳が洋食の普及とともに庶民の間でも親しまれるようになりました。当時は輸送手段が整備されておらず保存技術も未発達なため距離的に東京中央部に近く、農村地帯で牛の飼料となる牧草の生育に適していた大塚には数多くの牧場が誕生し、東京近郊で屈指の酪農地帯になりました。乳製品メーカーの興真乳業も大塚に誕生した牛乳生産牧場がルーツになります。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 東京都豊島区東池袋及び南大塚
- アクセス
- JR池袋駅及び大塚駅から徒歩10分圏内
- 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図