王子と渋沢栄一
王子にある飛鳥山はNHK大河ドラマ「青天を衝け」の主人公で日本資本主義の父と称される渋沢栄一が住まいとした飛鳥山があります。王子製紙の前身となる製紙工場が渋沢栄一により設立され、日本の近代化を支えた地域でもあります。古くは旧石器時代から生活が営まれ、江戸時代には行楽地ともなりました。
古代の王子
東京都北区にある王子は、鎌倉時代の元亨2年(1322年)に王子神社の前身である若一王子権現が建立されたことから王子と呼ばれるようになりました。それよりも前に古くから人の営みがあり、飛鳥山には旧石器時代から縄文、弥生時代の集落や古墳時代の古墳など、飛鳥山全体から多くの遺構が発見されています。
石室から太刀の一部などが出土しています
武蔵国豊島郡の郡衙(地方役所)と推定されます
飛鳥山の近くにある御殿前遺跡は、先土器時代から近世にわたる複合する遺跡です。奈良時代から平安時代に造られた建物の跡は武蔵国豊島郡の郡衙(地方役所)と推定されています。
平安から江戸時代までの王子
王子は平安時代後期から室町時代にかけて豊島氏が豊島荘の一部として支配しており、現在の上中里にある平塚神社に平塚城を築きました。戦国時代には豊島泰経が太田道灌に本拠の石神井城を攻略され、文明10年(1478年)に平塚城で再び蜂起しますが、太田道灌に破れて豊島氏は滅亡しました。
平塚城があったとされます
日光までの街道の距離を示しました
江戸時代になると日光御成街道が整備され江戸日本橋と直結され西ケ原に一里塚が設けられ、元文2年(1737年)には8代将軍徳川吉宗により飛鳥山に桜が植えられたことで江戸市民の行楽地となりました。西ケ原一里塚は電車の敷設工事で存続が危ぶまれましたが、渋沢栄一らによる保存運動により残され、大正11年(1922年)に国の史跡に指定されています。
明治時代からの王子
江戸時代から明治時代に移ろうとする慶応2年(1867年)に日本資本主義の父と言われる渋沢栄一はフランスに向かいました。パリ万博を始めとする1年半をヨーロッパ各国で過ごした渋沢栄一は、学問や文化の発展には書物や新聞が必要だと痛感して製紙及び印刷事業の必要性を訴えます。
日本資本主義の父と言われます
日本で初めて製紙会社を建てました
明治6年(1873年)に輸入に頼る洋紙の国産化を目指して、大蔵省官僚から実業家に転身した渋沢栄一が中心となり日本初の製紙会社である抄紙会社が設立されました。王子には明治8年(1875年)に日本初の洋紙工場が操業を開始し、その翌年には隣接地に印刷所を設立しました。抄紙会社は明治26年(1893年)に社名を王子製紙株式会社に変更しています。
王子製紙は戦後の財閥解体政策により昭和24年(1949年)に苫小牧製紙株式会社、本州製紙株式会社、十條製紙株式会社の3社に解体されました。本州製紙株式会社は昭和33年(1958年)に江戸川工場の排水が旧江戸川に流れ込み、浦安から葛西沖にかけて水質汚染を引き起こしました。これをきっかけに浦安や葛西周辺の漁民の漁業権全面放棄が起こり浦安沖の埋め立てが加速し、ディズニーランド建設に発展します。
飛鳥山と渋沢栄一
渋沢栄一は飛鳥山に明治11年(1878年)に曖依村荘と呼ばれる別荘を構え、明治34年(1901年)から本邸として暮らすようになり、亡くなる昭和6年(1931年)まで住み続けました。大正6年(1917年)に敷地内に竣工した晩香盧は渋沢栄一の77歳の喜寿を祝って現在の清水建設である清水組が贈りました。
清水建設の前身である清水組が寄贈しました
渋沢栄一記念財団の前身である竜門社が寄贈しました
大正14年(1925年)に竣工した青淵文庫は渋沢栄一80歳の傘寿の祝いと男爵から子爵へ昇格した祝いとして現在の渋沢栄一記念財団の前身である竜門社が贈りました。曖依村荘は昭和20年(1945年)の東京大空襲で大部分が焼失しましたが、晩香盧と青淵文庫は延焼を免れ昭和57年(1982年)に渋沢資料館として開館しました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 東京都北区王子
- アクセス
- JR王子駅から徒歩10分圏内
- 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図