日暮里
江戸時代の日暮里は台地に寺院が並び低地に農村が広がっていました。日暮里の地名はかつて存在した新堀村に由来し、江戸時代には春の桜や秋の紅葉の行楽地として日が暮れるのも忘れてしまうところから日暮の里と呼ばれ新堀に日暮里の字が当てられるようになりました。
日暮里駅前
駅前には太田道灌の像があります
日暮里繊維街
近年は外国人 から人気があるスポットです
江戸時代には秋田藩佐竹氏の下屋敷がありましたが明治時代に武家屋敷は撤去され野原が広がりました。大正時代には住宅地の開発が進み、大正12年に関東大震災が起こると日暮里は区画整理が進み浅草周辺の古着商が移転し布や繊維を扱う町として日暮里繊維街が興ります。今もおよそ90軒の生地や手芸用品を扱う店が並びます。
経王寺と弾痕が残る山門
東京都荒川区にある日蓮宗大黒山経王寺は、明暦元年(1655年)に要詮院日慶が開山し、当地の豪農・冠勝平(新堀村の名主冠権四郎家の祖)が創建しました。経王寺の本堂は、第二次世界大戦の空襲で戦災焼失したため昭和27年(1952年)に再建されました。その隣にある大黒堂は日蓮上人が刻んだとされる大黒天が祀られており、旧谷中七福神のひとつに数えられています。
経王寺大黒天
日蓮上人作の大黒天が安置されています
経王寺山門
上野戦争の弾痕が残る荒川区有形文化財です
天保7年(1836年)に建立した山門は上野戦争の弾痕が残ります。慶応4年(1868年)に寛永寺境内であった上野恩賜公園で新政府軍と彰義隊が戦闘となり、敗れた彰義隊士の一部は経王寺に逃げ隠れたため新政府の攻撃を受けました。その時に銃撃を受けた弾痕が残されています。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
まち旅(旅行、観光)の記録
- 住所
- 東京都荒川区西日暮里
- アクセス
- JR山手線、京浜東北線「日暮里駅」徒歩5分
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 無料
- 地図