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深大寺城跡

東京都調布市の旅行で訪れた観光名所、

東京都調布市にある古刹深大寺から南東方向にある深大寺城は中世の城郭で、城郭の一部が神代植物公園の分園である水生植物園として整備されています。現在も空堀などの遺構が残されていることから、平成19年(2007年)に一部が国史跡に指定されました。

深大寺城の歴史

深大寺城の築城年代は不明ですが、大永4年(1524年)に北条氏綱により江戸城を攻略された扇谷上杉氏の上杉朝興は巻き返しを図るため居城の河越城から頻繁に南武蔵に侵攻しており、享禄3年(1530年)に深大寺城に陣を敷き、多摩川対岸の小沢城に陣を敷いた北条氏康と小沢原で合戦しています。

天文6年(1537年)には13歳で上杉朝興の跡を継いだ上杉朝定が難波田弾正広宗に命じて深大寺城を増築して防御を固めています。しかし、北条氏綱は深大寺城を迂回して河越城を直接攻め、上杉朝定は河越城を放棄して松山城に敗走したため深大寺城の軍事的価値は失われてしまいました。

深大寺城の周辺が北条氏の支配下になると深大寺城は歴史の表舞台に出て来ることはなく、そのまま廃城した考えられています。このため北条氏により改変されずに扇谷上杉氏系の築城技術を残す希少な遺構となりました。

深大寺城の遺構

深大寺城跡は湿地帯の隣に広がる武蔵野台地の南端部の標高約50メートルの舌状台地に造られた平山城です。台地の東側には湿地帯が広がり南側は多摩川があります。深大寺城は主郭(本丸)を中心として空堀と土塁に囲まれた3つの郭(曲輪)を直線上に配置した連郭式城郭でした。

深大寺城土塁

深大寺城跡の土塁第二曲輪と第三曲輪の土塁です

本丸空堀

深大寺城の本丸空堀本丸の空堀の遺構が今もはっきりと残ります

深大寺城の本丸は土塁が周囲を囲んでおり武士の屋舎だと考えられている建物の礎石跡が残されています。一般に戦国時代の城の建物は丸柱に板葺屋根で床は中心的な屋型のみに整備されていたと言われています。

深大寺城跡建物跡

深大寺城跡建物跡本丸には建物が建てられていました

そば畑

そば畑本丸の一角にはそば畑ができています

深大寺城跡の主郭にある芝生公園にはそば畑が作られていました。深大寺そばに代表されるとおり、この周辺はそばの産地であるため、神代植物公園、深大寺そば組合及び深大寺小学校が共同してそばを栽培して深大寺周辺の食の文化を後世に残す活動をしています。

神代植物公園水生植物園

神代植物公園は東京都の街路樹などを育てるための苗圃として整備されたのが前身で、昭和15年(1940年)に東京緑地計画により神代緑地として一般に公開されました。昭和36年(1961年)に神代植物公園と改称し都内唯一の植物公園となり、昭和60年(1985年)に分園として水生植物園が一般公開されています。

神代植物公園水生植物園

神代植物公園水生植物園湿地帯に木道が整備されています

神代植物公園水生植物園

神代植物公園水生植物園湿地に青いアヤメが咲いています

無料で開放されている水生植物園は、かつての深大寺城第二曲輪になります。豊富な湧水でできた湿地帯で現在は木道などで庭園のように整備されています。アシ、オギ、マコモ、アヤメなど多くの水辺の植物が生育しており、この湿地帯の奥にある小高い丘に深大寺城の本丸があります。

まち旅(旅行、観光)の記録

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まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒182-0017 東京都調布市深大寺元町
アクセス
京王線調布駅からバスで15分
営業時間
9:30~17:00
料金
無料
地図