大井田城跡

大井田城は、鎌倉時代に上野国の豪族である新田氏一族が当地に進出して土着して大井田氏となり本拠としたと考えられています。現在は建物が残りませんが、土塁や空堀などの遺構が綺麗に残されているため昭和53年(1978年)に新潟県の史跡に指定されています。
新田氏一族の大井田氏
大井田城は、南北朝時代に越後国の南朝方の中心勢力であった大井田氏が本拠にしたと伝えられています。大井田氏は上野国(群馬県)の豪族であった新田氏の一族で、鎌倉時代の中ごろに大島義継が大井田郷に土着して大井田氏と名乗り勢力を築きました。
十日町市博物館に展示されている模型です
新田氏の一族である大井田氏が城館を築きました
元弘3年(1333年)に新田義貞が上野国で鎌倉幕府打倒の兵を挙げると大井田経隆を首領とする越後の新田氏一族がいち早く馳せ参じ、大井田氏は建武の新政から南北朝時代の動乱期に南朝方として各地で転戦して勇名を轟かせました。新田氏が没落すると大井田氏も衰退し、戦国時代に入ると大井田氏は上杉氏麾下の豪族となり、上杉謙信の頃には大井田景能が上杉景勝の養育係を務めています。
大井田城の構造
大井田城は標高300メートルの城山に築かれた城です。築城年代は不明ですが、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて築城され、補修や補強を行い戦国時代末頃まで使用されたと考えれられています。西側に向かって扇状に広がる斜面を利用して築かれており、南北に深い谷があり、東側は狭い尾根が連なり、西側は比較的なだらかな斜面です。
土造りの城に木段が整備されています
主郭のあたりから十日町市の町並みが一望できます
城の頂上部には、一辺30メートルの三角形の主郭(本丸)があり、その西側に2列・3段にわたって階段状に郭が積み重ねられ、これらの郭を取り巻くように2段の帯郭があります。南側の急斜面には畝形阻塞と呼ばれる空掘を連続して設けられています。
土塁と空堀で防御力を高めています
主郭へと続く道に虎口が付けられています
このような各種施設の種類と形態から室町時代後期から戦国時代に使用されていたと考えられており、上杉家の会津転封により大井田城は廃城となりました。城の麓にある坪野館跡と笹山遺跡はほぼ同時代の館跡がみられることから大井田城と何らかの関連が伺えます。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒949-8616 新潟県十日町市中条
- アクセス
- JR魚沼中条駅から徒歩40分
- 営業時間
- 24時間
- 料金
- 無料
- 地図