飛騨高山の古い町並み
岐阜県の北部に位置する飛騨高山は、飛騨の小京都とも呼ばれ最近では多くの外国人も訪れています。金森長近が城下町づくりを行い商人町として発達した上町、下町の三筋の町並みを合わせて「古い町並」と呼び、国選定重要伝統的建造物群保存地区になっています。
飛騨高山の町並みの歴史
飛騨を治めることになった金森長近は、経済基盤のしっかりとした城下町づくりを目指しました。金森長近は高山城を築き、城の周りには外敵から城を守るように家臣の屋敷群が置かれました。これらの屋敷群はほとんどが商人町より一段高い場所にあり、地元では現在その一部を「空町」「ソラ」などと呼んでいます。武士と商人の身分の違いを、住む場所の高さによっても明確にしていました。
商人町は武士の居住する台地より10メートルほど低い場所に築かれましたが、街道と直結し交通の便が良い場所でした。長近は武士の町も商人の町も2本の川で囲みました。現在は、江名子川、宮川と呼ばれ、旧城下町の景観形成に重要な要素となっています。
商人町はその後繁栄をつづけ富と財産を築きあげました。しかし、身分制度が厳しく、豪華な町家を作ることはできませんでした。そのため表通りからは高さも低く、質素な住宅も兼ねた店舗が立ち並ぶことになり、この商家群の一部が現在の伝統的建造物群保存地区となっています。
宮川のふもとにある大鳥居です
櫻山八幡宮までの町並み
金森氏は6代107年に渡り続きましたが、元禄5年(1692年)に出羽国上ノ山(現在の山形県)に転封になり金森氏による政治は終わました。金森氏移封後の飛騨は幕府直轄地となり代官には関東郡代・伊奈半十郎忠篤が兼任し金沢藩主前田綱紀が高山城在番を命ぜられました。
慶応4年(1868年)に飛騨国最後の郡代新見内膳が江戸へ逃げ幕府直轄時代は終わります。同年に竹沢寛三郎が高山陣屋へ入り、すぐに梅村速水と交替して飛騨県(翌月高山県と改称)ができました。明治4年には筑摩県、明治9年には岐阜県に合併されました。
江名子川沿いの東山遊歩道
高山祭(八幡祭)をやっていました
旧高山町役場
旧高山町役場は、明治28年から昭和43年まで使用された町役場・市役所の建物で、昭和61年から高山市政記念館として高山市の歴史に関する資料が展示されています。入場無料です。
建物は和洋折衷の造りで、飛騨の名工坂下甚吉・舟坂直蔵によって伝統的町家建築の技法と西洋建築の様式を取り入れた明治時代の近代的な代表的公共建築物です。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒506-0000 岐阜県高山市上一之町
- アクセス
- JR高山駅より徒歩15分
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 特になし