まいぷら

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駿府城公園

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、駿府城公園

駿府城の歴史

駿府城は現在の静岡県静岡市にあった輪郭式の平城です。室町時代に駿河国守護を務めた今川氏の居城でしたが、甲斐の武田氏等との抗争を経て天正10年(1582年)に徳川家康が駿河を領有することになりました。

天正13年(1585年)には家康が浜松城から移転のため、今川氏の館があった場所に駿府城を築城しました。駿府城は数度の天守建造と喪失を繰り返しつつ近世城郭として完成されていきます。

豊臣政権下では家康の江戸移封に伴い豊臣家臣の中村一氏が城主となりますが、慶長6年(1601年)には家康異母弟の内藤信成が城主となり、慶長12年(1607年)には再び家康が入城しました。

駿府城の歴史

室町時代に今川範国が駿河国の守護に任ぜられたころの応永18年(1411年)に駿府城周辺に今川氏の館があったと考えられています。駿府周辺の五カ国の大名となった徳川家康は、天正13年(1585年)から居城として駿府城の築城をはじめ、天正17年(1589年)に現在の二ノ丸以内の部分を完成させました。

徳川家康は慶長8年(1603年)に征夷大将軍となり家康は江戸幕府を開いたあと、慶長10年(1605年)に将軍職を秀忠に譲り慶長11年(1606年)より再び駿府城の修築に着手し、駿府の町割りや安倍川の治水事業に取り掛かりました。

徳川家康像

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、徳川家康像天下人、徳川家康の像です

駿府城天守台発掘現場

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、駿府城天守台発掘現場天守台があった場所を発掘しています

慶長12年(1607年)に本丸が完成しますが、同年12月に失火焼失してしまいます。直ちに再建に取り掛かり慶長13年(1608年)本丸御殿完成、慶長15年(1610年)に天守を完成させました。

元和2年(1616年)に家康が死去すると寛永元年(1624)から秀忠の息子・忠長が城主となりましたが、寛永8年(1631年)に忠長が甲府(高崎)に蟄居を命ぜられ、駿府城の城主は不在となり幕末まで城代が置かれました。

家康手植のミカン

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、家康手植のミカン徳川家康が隠居してから植えました

本丸堀跡

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、本丸堀跡深さ5メートルもある内堀と石垣です

明治24年(1891年)に駿府城跡は静岡市に払い下げられ、戦後に本丸、二ノ丸部分は駿府公園として整備されました。平成元年(1989年)には市制100周年記念事業として巽櫓が復元され、平成8年(1996年)に東御門、平成26年(2014年)に坤櫓が復元されました。

坤櫓

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、坤櫓平成26年(2014年)に復元されました

東御門橋

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、東御門橋天守門の近くに安置されています

平成26年(2014年)に復元された坤櫓(ひつじさるやぐら)は、南西の未(ひつじ)と申(さる)の方角にあたるため呼ばれるようになりました。平時は武器庫として使用され、有事の際は物見や攻撃の拠点としての役割がありました。

駿府城東側にある東御門橋を渡ってすぐにある東御門は、寛永12年(1635年)に天守、本丸御殿などとともに焼失したもので、平成8年(1996年)に復元され資料館として公開されています。

東御門

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、東御門平成8年(1996年)に復元されました

紅葉山庭園

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、紅葉山庭園平成13年(2001年)に完成した日本庭園です

駿府城公園には平成13年(2001年)に完成した日本庭園と茶室がある紅葉山庭園が整備されています。駿河国の名勝を織り込んだ4つの庭を中心に造られています。

駿府城周辺の史跡

駿府城の堀沿いは「家康公の散歩道」と呼ばれています。散歩道には数々の像や石碑などのモニュメントが設置されていて静岡市の歴史を感じられる散歩道です。

府中弥次喜多像

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、府中弥次喜多像巽櫓と東海道中膝栗毛の像です

わさび像

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、わさび像わさび漬発祥の地を意味します

東海道中膝栗毛の作者・十返舎一九は静岡市の出身であるため、東海道中膝栗毛に登場する弥次さん喜多さんの像が設置されています。弥次喜多さんの像はベンチになっていて、背後の巽櫓とコラボで写真を取ることができます。

わさびの発祥は、慶長年間(1596~1615年)に、それ以前から静岡市葵区の有東木地区の佛谷山に自生していた野生のわさびを同地区の湧水源付近に植えたこととされています。わさびの刻んだ葉や茎、根を酒粕に漬けた山葵漬けは江戸時代に考案されました。

静岡学問所之碑

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、静岡学問所之碑明治元年に開校した学問所の跡です

静岡城内西尋常小学校校址碑

静岡県静岡市の旅行で訪れた観光名所、静岡城内西尋常小学校 校址碑かつて小学校があったようです

駿府城周辺には静岡学問所や静岡城内西尋常小学校と呼ばれる学校がありました。徳川家達を藩主とする駿府藩は、明治元年(1868年)に駿府学問所を開校しました。明治2年(1869年)に駿府藩が静岡藩に改称されたため静岡学問所に名称を変更しました。

静岡学問所は廃藩置県を経て明治5年(1872年)に廃校となり、わずか4年間でその教育活動を終えました。学問所にあった江戸幕府旧蔵書は現在「葵文庫」と呼ばれて静岡県立中央図書館に保管されています。

まち旅(旅行、観光)の記録

まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。

まち旅(旅行、観光)の記録
住所
〒420-0855 静岡県静岡市葵区駿府城公園1−1
アクセス
JR静岡駅から徒歩約15分
営業時間
9:00~16:30
料金
360円

地図