蜆塚遺跡
蜆塚遺跡は、佐鳴湖の東岸にある縄文時代後・晩期(約4,000~3,000 年前)のムラの跡です。中央の広場を囲んで28戸の住居跡や30基の墓地が並び、貝塚も4ヶ所で発見されました。住居跡には当時の姿を想像して5棟の平地式家屋が復元されています。
入口にある石碑です
5基の家屋が復元されています
住居跡は平地住居で、柱穴や炉跡が見つかっています。同時に建っていた住居は4~5棟で約20人が生活していたと推定されています。
また墓地も発見され、墓からは30体にのぼる人骨が見つかりました。発見された人骨の多くは屈葬と呼ばれる膝を折り曲げて胴につけた状態で埋葬されていました。また身に着けていていた装身具も出土しています。
発掘場所が分かるように明記されています
蜆塚遺跡の出土品が展示されています
蜆塚遺跡は戦後の昭和30年から昭和34年まで発掘調査が行われました。この遺跡から出土した土器や石器、人骨など数々の品は浜松市博物館に展示されています。昭和34年(1959年)に国の史跡に指定されています。
蜆塚遺跡貝層
蜆塚遺跡で発見された貝塚は東海地方で有数の規模を誇る貝塚です。蜆塚遺跡で発見された4つの貝塚のうち一つは、発掘調査当時のまま貝層を合成樹脂で固めて永久保存され、ガラス越しに貝殻の堆積やその間にはさまれている動物の骨や遺物を観察できます。
金網で守られています
貝の層ができあがっています
貝塚からはシジミなどの貝殻のほか、動物や魚の骨、土器や石器、骨角器などが見つかっています。狩りや漁、植物の採集によって食料を得ていたことが分かります。
発見された貝の9割はヤマトシジミで、ほかにハマグリなども見つかっていますが、現在の浜名湖で見られる貝はごくわずかです。また、貝の大きさは現在市場で出回っている貝よりも大粒のものです。
旧高山家住宅
蜆塚遺跡の西側には、浜松市西部にある村櫛町から移築された江戸時代の民家「旧高山家住宅」があります。旧高山家住宅は漁業や農業を営んできた一般的な家屋で、安政年間に高山家が分家した際、堀江(現舘山寺町)から古い建物を購入・移築したものです。
江戸時代後期の一般的な家屋です
右手が土間で左手に座敷があります
江戸時代終わりごろの浜名湖東岸では標準的な住まいで、屋内には右手に土間、左手に2室の床上座敷があります。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒432-8018 静岡県浜松市中区蜆塚4丁目22−1
- アクセス
- JR浜松駅からバス「蜆塚遺跡前」下車
- 営業時間
- 9:00~16:30
- 料金
- 無料