修善寺温泉郷
修善寺温泉は伊豆半島で最古の温泉です。その修善寺温泉のシンボルである「独鈷の湯」は修善寺温泉の中心を流れる桂川の河畔に湧く修善寺温泉発祥の湯です。
- 開湯
- 大同2年(807年)
- 泉質
- アルカリ性単純温泉(低張性、アルカリ性、高温泉)
- 効能
- 神経痛、筋肉痛、関節痛、五十肩、運動麻痺、関節のこわばり、うちみ、くじき、慢性消化器病、痔疾、冷え性、病後回復期、疲労回復、健康増進
大同2年(807年)に修善寺を訪れた空海(弘法大師)は、桂川で病気の父の身体を洗う少年に心打たれ、持っていた仏具(独鈷杵)で川の岩を打ち霊泉を湧き出させました。その湯につかった父親は病が癒えたという言い伝えが残り、ここから温泉療法が広まったと言われています。
竹林と竹でできたベンチです
鎌倉幕府2代将軍の墓です
修善寺は鎌倉幕府2代将軍・源頼家が幽閉されたところでもあります。源頼家は正治元年(1199年)に源頼朝の死により家督を継いで2代将軍になりましたが、建仁3年(1203年)に頼家が罹病すると相続に関して母の北条政子と北条時政が源実朝と一幡に分譲する案を出し、これに対して一幡の独裁を主張する比企能員と対立することになります。
源頼家は比企能員と共に北条氏を討伐しようとしますが、逆に能員と一幡は殺され、頼家は修禅寺に幽閉され元久元年(1204年)に筥湯で入浴中に暗殺されました。
修禅寺
修禅寺は、地名の修善寺の名前の由来となったお寺で正式な呼称は「福地山修禅萬安禅寺」といいます。地名の修善寺と異なり座禅の「禅」の字が使われます。
修禅寺は平安時代初期の大同2年(807年)に弘法大師(空海)により開基したと伝わります。開創当初は真言宗の寺院でしたが、鎌倉初期に蘭渓道隆が住職となり臨済宗の寺院となります。
南北朝時代の康安元年(1361年)に畠山国清と足利基氏との戦禍や応永9年(1402年)の火災により伽籃が全焼して寺は荒廃しましたが、延徳元年(1489年)に韮山城主の北条早雲が再興し、叔父の隆溪繁紹(遠州石雲院)が住職となり曹洞宗に改宗され現在に至ります。
運慶作の大日如来が安置されます
御手水は源泉かけ流しの温泉水です
修禅寺の本尊は大日如来で鎌倉時代初期(1210年)の大仏師・実慶作です。ヒノキの寄木造りの座像で、国指定重要文化財になっています。
また修禅寺の特徴として、手水舎の御手水は水ではなく温泉です。桂谷霊泉大師の湯と呼ばれる源泉かけ流しの温泉水は60度と少し熱めです。手を清めるものですが、飲んでも大丈夫です。
梵鐘が吊るされています
源頼家の冥福を祈り北条政子が建てました
修禅寺は鎌倉時代に北条氏が帰依したことから源氏と因縁のある寺院です。建久5年(1194)に源範頼は兄である源頼朝の猜疑を受けて修禅寺に幽居され、梶原景時に攻められて自刃したといわれています。
また、鎌倉2代将軍・源頼家は修禅寺に幽閉され修善寺温泉で暗殺されました。指月殿は源頼家の冥福を祈り母の北条政子が修禅寺に寄進した建物で、伊豆半島で最も古い木造建築です。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒410-2416 静岡県伊豆市修善寺964
- アクセス
- JR修善寺駅よりバスで修善寺温泉下車
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 無料