清洲城
清洲城は、応永12年(1405年)、幕府官領、斯波義重により尾張守護所である下津城の別邸として築城されました。やがて織田信秀(織田信長の父)が斯波三奉行の一人となり、清洲奉行として清洲城を居城とします。
織田信秀が古渡城に本拠を移すと、かわって織田信友が入ります。弘治元年(1555年)に信長は叔父信光と謀り守護代織田信友を殺害します。信長は清洲城を奪回すると清洲城を本拠地とします。
天正10年(1582年)に本能寺の変で織田信長が亡くなると家督相続を決める会議が清洲城で開かれました。これを「清洲会議」と言います。秀吉の推した三法師が家督を継ぎ安土城に入ると清洲城にはその補佐役の織田信雄が入城することになります。
織田信雄は小牧・長久手の戦い以降秀吉によって追われることになり、その後の清洲城主は福島正則・松平忠吉・徳川義直へと代わります。慶長12年(1607年)に名古屋城が新しく築かれ清洲城は廃城となります。
現在の清洲城天主閣は平成元年(1989年)に再建され、清須の歴史を紹介する展示・映像などが展示されています。清須の歴史コーナーでは清洲朝日遺跡で発掘された土器が展示され、尾張三作の一人清須ゆかりの刀工、相模守政常入道の平三角笹穂造の槍(重要刀剣)が展示されています。
清洲城の歴史
清洲城の歴史を年表にまとめてみました。
- 応永12年(1405年)
- 斯波義重が築いた
- 弘治元年(1555年)
- 織田信長が織田信友を殺害し清洲城を本拠とする
- 文禄4年(1595年)
- 福島正則が入城
- 慶長5年(1600年)
- 徳川家康の四男松平忠吉が入城
- 慶長12年(1607年)
- 徳川家康の九男徳川義直が入城
- 慶長14年(1609年)
- 徳川家康によって、清須から名古屋への遷府が指令
- 慶長15年(1610年)
- 清須城下町は名古屋城下に移転
清須古城跡公園
清洲城天守閣をあとにして、五条川を挟んだ対岸にある公園で、ここが昔の清洲城であったところです。
社が設けられています
数々の石碑が並びます
清洲公園
清洲公園は、大正11年(1922年)に開園し平成11年にリニューアルしました。織田信長と濃姫の像が建っていますが織田信長26歳に永禄3年(1560年)に「桶狭間の戦い」に出陣する姿を模した銅像です。
織田信長の立像です
織田信長の妻、濃姫の像です
永禄3年(1560)の桶狭間の戦いに勝利した信長公は、ここ清須から天下統一への第一歩を踏み出しました。濃姫は、美濃国の戦国大名・斎藤道三(斎藤秀龍)の娘で、天文18年(1549年)に政略結婚で尾張国に嫁ぎました。
当時の人生は五十年なんでしょうね
織田信長の年譜がありました
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒452-0932 愛知県清須市朝日城屋敷1−1
- アクセス
- JR「清洲」、名鉄「新清洲」から徒歩10分
- 営業時間
- 9:00~16:30(年末年始は休園)
- 料金
- 300円