尾山神社
尾山神社は、加賀藩祖・前田利家とその正室お松の方を祀る神社として明治6年(1873年)に創建されました。尾山神社の正門にあたる神門は建築当時、和漢洋折衷の神門は前例がありませんでしたが伝統を踏襲せず堅固を目指したと云われています。
尾山神社
明治6年(1873年)に創建された尾山神社は加賀藩祖・前田利家とその正室お松の方を祀ります。特徴がある神門は尾山神社の正門になり、全国的にも珍しい和漢洋の3つの建築様式が用いられている国の重要文化財です。
特徴ある神門と鳥居です
国の重要文化財に指定されています
明治8年(1875年)に建築された神門は、その3層目に4色のギヤマンが四方にはめ込まれています。かつては火を灯して金沢近海を通る船舶の目印として灯台のような役目を果たしていました。また、屋根頂部には避雷針があり、この避雷針は日本現存最古の避雷針とされています。
前田利家とお松が祀られています
水貯めが少し低い感じの造りです
拝殿は入母屋造屋根瓦葺の造りで貫禄があります。中央天井は旧金谷御殿から移築したもので格天井作りで各間毎に岩絵具による極彩色の優曇華(うどんげ)の花が美しく描かれています。欄間もまた旧金谷御殿から移築したもので約八寸厚の欅の一枚板に見事な梅花紋を透彫にしています。
前田利家の正室です
織田信長に仕えていました
前田利家は現在の愛知県名古屋市の生まれで、織田信長に仕えて青年時代は赤母衣衆として従軍しました。槍の名手だったため「槍の又左」の異名があります。また、前田利家公の正室であるお松の方は、学問や武芸をたしなむ才能豊かな女性であったと伝えられています。実母が利家公の母の姉で利家公とは従兄関係であり、利家亡き後は芳春院と号しました。
歴代藩主と正室を祀る摂社です。
旧金谷御殿の庭園で地泉廻遊式の名園
境内に整備されている神苑は、旧金谷御殿の庭園であり古代舞楽の楽器を模した地泉廻遊式の名園です。神苑の水は、三代藩主・前田利常の命により完成した辰巳用水の水を高低差を利用して兼六園から暗渠で導き響遠瀑から落としていました。現在は当時の水路が断絶したので、井戸を堀り地下水を池に流しています。
前田利家の生涯
前田利家の年譜をまとめてみました。
- 天文6年(1537年)
- 尾張国・荒子村(現在の愛知県名古屋市中川区荒子町)に、荒子城主・前田利春の四男として生まれる。幼名は犬千代。
- 天文20年(1551年)
- 織田信長に小姓として仕える。
- 天文21年(1552年)
- 清洲織田家の織田信友と織田信長の間に起こった萱津の戦いで初陣。稲生の戦いや浮野の戦いにも従軍。織田信長よりその強さを称賛され、寵愛を受ける。
- 永禄元年(1558年)
- 「まつ」と結婚。
- 永禄2年(1559年)
- 織田信長の寵愛を受けていた同朋衆の拾阿弥と争いを起こし、織田信長の目の前で拾阿弥を斬殺。織田信長の不興を買い出奔。
- 永禄3年(1560年)
- 今川義元と織田信長による桶狭間の戦いに、織田側の軍勢として戦闘に参加。
- 永禄4年(1561年)
- 森部の戦いに参戦。織田信長にその功績が認められ帰参を許可される。
- 永禄12年(1569)
- 織田信長の命で家督を継いで前田家の当主となり荒子城主となるが前田利久と前田慶次(前田利益)、奥村永福らが城を去る。
- 元亀元年(1570年)
- 金ヶ崎の戦いで織田信長の警護を任される。姉川の戦いで浅井配下の浅井助七郎を討ち取る。
- 天正3年(1575年)
- 越前の一向一揆を平定。佐々成政、不破光治らと越前国・府中(現在の福井県北東部)に10万石を与えられる。
柴田勝家のもとで佐々成政らと共に上杉謙信と戦い北陸地方の領土を拡大。有岡城の戦い、三木合戦などで戦果を挙げる。 - 天正9年(1581年)
- 織田信長より能登国(現在の石川県北部)23万石を賜る。一旦は七尾城(石川県七尾市)に入城するが、経済や政務活動をより円滑に行うため小丸山城を築き北陸を代表する大名となる。
- 天正10年(1582年)
- 本能寺の変によって織田信長が自刃。織田家の後継者をめぐる「清洲会議」において柴田勝家と豊臣秀吉が対立。柴田勝家側に付く。
- 天正11年(1583年)
- 賤ヶ岳の戦いで柴田勝家側として出陣。豊臣秀吉側の誘いに乗り合戦中に自軍を撤退。豊臣秀吉の信頼を得て新たに加賀2郡の領地を与えられる。本拠地を小丸山城から尾山城(現在の金沢城)に移し北陸地方の統治を始める。
- 天正12年(1584年)
- 豊臣秀吉軍と徳川家康・織田信雄連合軍が対立した小牧・長久手の戦いが勃発。徳川・織田連合軍の虚を衝き、佐々成政が能登・加賀地方へ侵攻。末森城の戦いへと発展し、豊臣秀吉が敗れたあとも前田利家は北陸で戦って領地を守る。
- 天正13年(1585年)
- 上杉景勝の協力を得て、佐々成政が領していた越中国(現在の富山県)に進出。佐々成政は降伏し領土没収ののち、前田利家の長男・前田利長(前田利勝)が越中3郡を治める。
丹羽長秀が没し国替えによって丹羽家の領土を前田利家が引き受け加賀百万石と評される加賀藩の初代藩主となる。 - 慶長3年(1598年)
- 前田利長に家督を譲り隠居。
- 慶長4年(1599年)
- 大坂の自邸にて病没。享年63才
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒920-0918 石川県金沢市尾山町11−1
- アクセス
- JR金沢駅から徒歩30分
- 営業時間
- 特になし
- 料金
- 参拝自由
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