引揚記念館
その昔、亡き祖父と話をしていたとき「舞鶴には行ったことがある」と言っていました。多くは語りませんでしたが、戦争でロシアに拘留されてしまい引揚船に乗って舞鶴に帰国したようです。
昭和20年(1945) に第二次世界大戦が終結し、旧満洲(現・中国東北部)や朝鮮半島をはじめ南太平洋など多くの国や地域に約660万人もの日本人が残されました。このような方々を早急に引き上げるために18の引揚港が設置されますが、そのひとつが舞鶴港でした。
昭和20年に引き揚げ第一船「雲仙丸」が舞鶴港に入港してから昭和33年の最終引揚船「白山丸」の入港まで13年間にわたり66万人の引揚者が舞鶴に迎い入れられました。こうして舞鶴市は「戦後復興のふるさと」ともいえる地となりました。
舞鶴は主に旧ソビエト連邦(現ロシア)や中国などの大陸からの引揚者を受け入れてきたため、昭和63年(1988年)に開館した引揚記念館にはシベリアの拘留生活の資料をはじめ引揚に関する資料が多数展示されます。なお、ここに収蔵される資料のうち570点が平成27年(2015年)にユネスコ世界記憶遺産に登録されています。
引揚記念公園
引揚記念館がある敷地はまさに引揚桟橋があったところで引揚記念公園として整備されていました。そのため、広大な公園内には引揚にまつわる復元桟橋や石碑などの施設が設置されています。
平成6年に復元された引揚桟橋です
海に面して燈籠台が設置されています
平成6年(1994年)に引揚者が帰国の第一歩を踏みしめた舞台となった平引揚桟橋が復元されました。祖国のためと戦争に参加して引揚により帰国した方々は、帰国が叶わなかった方々も多い中、どんな気持ちで祖国の土を踏んだのだろうと思います。
また引揚が行われた頃、引揚桟橋には息子の帰りを待つ母親の姿がありました。引揚船が着くたびにいつでも見られた光景でしたが、やがて毎回同じような顔ぶれの人が桟橋の脇に立つ姿が見受けられるようになりました。そのような母親をマスコミに取り上げ「岸壁の母」と呼ばれるようになりました。
舞鶴湾の景色が綺麗です
昭和38年に設置された碑です
全国引き揚げの父と云われた元外務大臣の有田八郎直筆の碑がありました。「引き揚げに携わった人々の愛情に感謝すると共に、今も帰らぬ 同胞の望郷の御霊を慰めつつ岸壁の妻、母の嘆きをここにとどめ、永遠の平和を願っている。」と願いが綴られています。
平和への祈りが伝わります
広い敷地に引揚関連の施設があります
引揚記念公園には記念館のほか、引揚に関する施設が点在していました。
まち旅(旅行、観光)の記録
まち旅(旅行、観光)するために参考となる情報です。
- 住所
- 〒625-0133 京都府舞鶴市平1584
- アクセス
- JR東舞鶴駅からバス「引揚記念館前」バス停すぐ
- 営業時間
- 9:00~17:00
- 料金
- 400円